ポーランド  1994年9月


人出で賑わう旧市街地風景。
かつての第2次大戦のワルシャワ市街戦では徹底的に破壊し尽くされたものの、
過去の資料や生き残った住民の記憶などを元にして、見事に復元されたとのこと。
ワルシャワ市民達の情熱はさすがである(1994年9月)。

クラクフ郊外通りから外れて路地裏へ・道端の花売りおばさん
○ 中世風の建物が建ち並ぶクラクフ郊外通りから一歩わき道にそれて、路地裏に入る。

○ 「これが中世時代の建物か!」。

道路の両脇にズラッと並んでいるバロック調やゴシック様式の建物を見ていると、自分が時代を遡って立ち尽くしているような錯覚に、一瞬陥ってヘンだ(写真左)。

○ 「ポーランドの人たちは、花を贈るのが好きだ」ということを聞いたことがある。

そういえば、歩道の端っこにわずかなスペースを確保してイスに座り、花を売っているムスメさんやオバサンの姿によく出くわしたような気がする(写真右)。


旧市街広場の露店画商
○ いろいろな商売の「出店」で賑わっている旧市街広場風景。

○ 花、置物、小物や民芸品などに混じって、大きな一角で絵画を陳列している画商さんが目に止まった。

○ 数ある絵の中で一目ぼれしたのは「旧市街風景」を描いた油絵・16号。特設コーナーに陳列されていたもので、逸品!

粘りに粘った折衝の末に、額縁を取り外して買い取ることで、商談成立。後生大事に日本の我が家まで、持ち帰ることと相成った。

バルバカン、キュリー夫人博物館
○ 旧市街を500mほど北へ進むと、大きな城壁が現れる。
15〜16世紀に造られたといわれる馬蹄形をした砦。旧市街を守る要塞だ。

○ ここも旧市街同様に第2次大戦で破壊されたが、これまた見事に復元されたとのこと。
観光客と思しき人たちで、いっぱいであった(写真左)。

○ バルバガンを抜けてさらに北へ進むと、ノーベル賞学者であるキュリー夫人の生家でもある博物館がある。
ここでは、夫人が貧しかったパリ留学生時代の生活ぶりや所持品、いろいろな研究に関する展示品などが並べられている。

○ 博物館の入り口は目立たない。小さな建物の入り口の壁に金属製のプレートが埋め込まれているだけ。
木製のドアーを開くと、照明の薄暗いチケット売り場がある。オバサンがひとりでそこに座っていた(写真右)。

ワルシャワ大学、聖十字架教会
○ 文化科学宮殿から約2kmほど北に歩くと、緑豊かなサスキ公園にたどり着く。
ポーランド出身のローマ法王・ヨハネ・パウロ2世が、1979年に大群衆を前にして説教をした広場としても有名とか。

○ サスキ公園の脇を南北に伸びるクラクフ郊外通りをはさんで、反対側には名門ワルシャワ大学の正門が見える。
もともとは音楽学校があったところで、かの有名なショパンも通ったとのこと。
正門から入って右側の建物には日本語学科があり、最新の日本語新聞が読めるらしいが、中に入るのは躊躇してやめた(写真左)。

○ ワルシャワ大学の向かい側には、ショパンの心臓を祭っている聖十字架教会がある。
ひっきりなしに礼拝に訪れる一般市民に紛れ込んで、聖堂の中に入ってみた。金色、銀色に輝く荘厳な雰囲気で、身が引き締まる(写真、右)。

ワジェンキ公園
○ ワルシャワ市民の自慢のタネといわれるワジェンキ公園では、毎日曜日の正午からピアノコンサートが開かれると聞いて出かけてみた。
11時過ぎ、好位置とみられるベンチを確保して演奏が始まるのを待つ。

○ 森の中の池のほとりに、偉大な作曲家ショパンの像が「しだれ柳のかたわらに腰掛ける」形で鎮座している。
その下に据え付けられたピアノから奏でられる旋律は、大スピーカーに乗って園内に響き渡る。

○ 閑散としていた園内も、いつの間にか、若いカップルや子供連れの家族そして常連と思しき老夫婦たちで一杯になっていた。

文化科学宮殿
○ ワルシャワ中央駅の東側のデフィラト広場に聳え立つ37階建ての高層ビル・文化科学宮殿は、スターリンからの贈り物として1952年から4年もかけて建てられたとのこと。

○ 高層建築の少ないワルシャワ市内にあって、市内のどこからでも目に付く建物。

○ 市民の評判はすこぶる悪く、「権威主義的な建物」「ソビエトの建てたワルシャワの墓石」などと呼ばれているとか。

○ ホテルの窓から眺めるデフィラト広場には、屋台やテント小屋が連なり、日用雑貨品や食料品などを買い求める人で賑わっている(写真右)。

○ 近隣諸国からの出稼ぎ人の活躍の場でもあるらしい。「近寄るべからず」との注意喚起もあって、遠景を眺めるにとどめた。



東欧の優等生・ポーランド
○ 社会主義経済から市場経済移行国へと着実な発展を続けているポーランド。今や、東欧諸国の中でも優等生格だ。

○ 長い間、列強国の圧政のもとで苦難の道程を経てきたポーランドではあるが、一方でこの国は芸術や文化、宗教に奥深い国といえるようでもある。




ヘルシンキ経由でワルシャワ入り
○ 成田空港発のポーランド・ワルシャワ空港行き直行便(フィンランド航空・FINAIR)」は、あいにくの台風の影響で、6時間以上も遅れての出発となった。

○ おまけに「ロシア領空飛行時間制限」に引っかかっての調整のために出発はさらに遅れ、途中ヘルシンキで1泊する前提での出発。思わぬ予定外のスケジュールとなって、やや緊張の中での離陸。

○ 機内での放送や画面案内によると、飛行ルートは次のようなものであった。
成田→Vladivostok(ウラジオストク)の北→中央シベリア高原地帯のTurukhansk(ツルハンスク)→Salekhard(サレハルド)→Kotlas(コトラス)→St.Petersburg(サンクトペテルスブルグ)→Helsinki(ヘルシンキ)

○ ちなみに、目的地到着予定約2時間前の飛行状況は次のように案内された。
* Local time at destination(現地時間):4:36pm
* Distance to destination(目的地までの距離):1,781km
* Time to destination(目的地までの時間):2:19h
* Altitude(高度):10,700m
* Outside air temperature(機外温度):−58℃
* Speed k.p.h.(時速):907km

○ 窓外に目を転じると、圧倒されるような雪山風景が眼下に広がる。広大な白と青一色の景観! 吸い込まれるような見事さであった。