インドネシア  2000年4月(180日間)


 ジャカルタ市街地から約100km南方の高地、チパナスは「花の町」
でもある。道路沿いの至るところに陳列されている「盆栽」風
ブーゲンビリアは、年中花が絶えることはないという(2000年8月)。

○ 99年秋から具体的に動き出した一連のプロジェクト。仕上げとなる今回のジャカルタ生活は、2000年4月から10月までの6ヶ月間となる。

○ 愛すべき同胞インドネシア人との短い間のふれあい生活。そのありさまを順を追って綴って行く。

(書き綴ったメモの整理や古い写真の取り込み作業などを進めながら、気の向くままに、おいおい更新して行こうと思っております。)

フェアウェル・パーティー
○ 日本へ帰任する日がやって来て、フロアー毎に各職場をあいさつして回る。人なつこいそれぞれの顔が目に焼きついて、離れない(右)。

○ 幹部有志がHotel Horison 内の純和風料理屋「おこう(Okoh)で送別会を開いてくれた。
日本酒の熱燗に、刺身、てんぷら、焼き魚…、そして最後にお茶漬け。飲めないお酒を無理して飲んだのと違う? 皆さん、いろいろお世話になりました。


マラン〜ブリタールへ
○ スラバヤの南約100km。マランはオランダ人が好んで住んだ町とのことで、「ジャワにあってジャワらしくない町」という説明のとおり、植民地時代の名残を残す建物が目に付く。

○ ジャカルタから同行してくれたMr. Suharsono の母親が胃がん治療のために入院している病院へ見舞いに立ち寄る。1階ロビーで待つこと、小一時間。母親に対する気持ちは同じなんだなぁ、と思う。

○ マランからさらに南下すること約1時間、スカルノ初代大統領の廟があるブリタールへ到着する。スカルノ廟には廟参りの人がひっきりなしで、「スカルノ信者」の強烈さが衰えていないことを目のあたりにすることになった。

○ ブリタール近くにあるパナタラン寺院へ行く途中の山中にある「三段の瀧」。欧州系と思しき観光客に出くわす。こんな山中で…とも思うが、きれいな水、ひんやりする空気の魅力はそれなりの価値がありそう(左)。スラバヤへの帰途で見かけた「稲刈り風景」。菅かさをかぶり、和気あいあいの収穫作業風景は見るからに穏やかでそうであった(右)。


インドネシア第2の都市・スラバヤへ
○ 東ジャワ州の州都・スラバヤへは、ジャカルタからほぼ1時間のフライトで到着する。国内のコメどころ、日本からの投資関連が活発な地域でもあり、にぎやかな商都である。

○ Mr. Aznam スラバヤ支店長を訪問して歓談。彼が97年7月に訪日した際のことなどの思い出に話がはずんだ。秘書のスラバヤ美人が部屋に運んでくれたコーヒーと「スラバヤニーズ・ケーキ」は、すこぶる美味!。記念撮影することとなった。


再びメダン市街地へ
○ トバ湖畔のパラパトから湖内に浮かぶ島までは、カーフェリーで約30分。船上から振り返り見ると、湖畔に並ぶコテッジ群が青い湖面に美しい陰を映し出していた(左)。

○ 島をほぼ1周したあと、山越えしてスマトラ本島に戻ることにした。途中の狭い路、窓から見下ろす風景は絶壁!、陥没した道路を木で橋渡し…。緊張の連続であった。

○ メダンの市街地に戻る。整然とした緑の並木やオランダ統治時代の白い建物が建ち並ぶ風景がよく目に入る。Mr. Noviar の大学時代の友人宅で一時休憩させてもらうことにした。だだっ広い庭の隅にあるプールで、子供達がはしゃぎながら水遊びをしていた(右)。


聖なるトバ湖、神話のサモシル島へ

○ メダンから東よりのルートでプラパットにあるトバ湖畔にあるコテッジへ。途中のジャングルをぶち抜いて造られている「弾丸道路」の道端で見かけた風景。

○ パーム・オイル、ゴムの木、コーヒーの木などが延々と続く密林地帯。「タチション」のために一時休憩したところは、「ココアの木」に果実がズラリとぶら下がっている熱帯雨林の一帯であった(左)。

○ トバ湖の大きさは琵琶湖の大きさの約2倍。日本人にとって富士山が霊峰であるように、バタック族にとっては「聖なる湖」であるらしい。高原の涼しい空気を肌で感じながら、湖水の真中に浮かぶサモシル島(写真右の左部分)を眺める。表現の仕様がない美しさの「絵模様」であった。


スマトラ島北部のメダンへ

○ ジャカルタから空路2時間10分で、北スマトラの州都メダン空港に到着する。シンガポールやマレーシアのクアラルンプールよりさらに北方の緯度線まで北上したことになる。紛争の続くアチェまでは約400kmの地点。インドネシアの国土が如何に広大であるかを改めて実感。

○ Mr. Windarlan支店長を訪問しMr. Sudarmaほかと旧交を温める(左)。昼食は西インドネシア名物のパダン料理。味よし、見栄えよしで、つい「写真とってよろしいですか」ということに相成った(右)。


タナ・ロットから眺めるサンセット風景
○ 島南部のメングイにあるタマン・アユン寺院の境内には、ヒンヅー寺院建築の美しい尖塔(1、3、5、7、9、11重の尖塔)が6つ建っている。
これはバリ島の守護山であるグヌン・アグンをシンボル化したものといわれる。

○ 海上に突き出た巨大な岩上に建てられた寺院、タナ・ロット寺院は海の守り神を祀るものといわれる。寺院の黒い塔と岩、そして青い海との調和は見事な絵巻風景である。サンセット時刻は18時15分。夕暮れが近づくにつれて、多くの観光客とともにいつの間にかカメラの方列が並んでいた(左、右)。


島中央部のブラタン湖〜タマンナユン寺院への道すがらの風景
○ 頭の上に乗せた籠に荷物を積んで手際よく歩く女性たちの姿。貴重な運搬用具であろうか、よく見かける風景である。それにしても、身にまとっている衣装は華やかなものである(左)。

○ 一面が田園風景の中で、学校帰りの小学生らしい女の子たちに出会った。クルマの速度を緩めてカメラを向けると、無邪気な笑顔を返してくれた。その表情はたまらなく可愛いものであった(右)。


ケチャック・ダンス
○ バトゥブランの町へ戻ってきて、ケチャック・ダンスを鑑賞。バロン・ダンスと違って、これは日没後でないと開かれない。「恍惚状態にある娘達を通じて、祖先の願いごとを聞く」ことがテーマになっているとの説明。たいまつの火を囲んで、白黒の格子柄模様の腰巻を着けただけの男性が輪になって、「チャッチャッ」とサルの鳴き声をマネながら不思議なリズムを合唱する(左)。

○ 王子ラーマとその妃シタをめぐる「ラーマヤーナ物語」をもとに踊るもので、物語は独特な雰囲気の中で展開されて行く。


キンタマーニ高原〜ブサキ寺院
○ デンパサールから北へ約70kmの高原地帯。標高1717mのバトゥール山が霧の中に聳え立ち、足下には「バリ島の水がめ」と形容されるバトゥール湖の絶景が広がる(左)。

○ バトゥール湖から南へ約15km。バリ島の最高峰グヌン・アグン(標高3142m)の中腹に、バリ・ヒンズーの総本山ブサキ寺院がある。「聖なる山」「聖なる寺」と崇められており、全体として神秘的な雰囲気がある。寺院に入るときは、「サロンク」と呼ばれる腰巻を巻かないと入場できない(右)。


「地上最後の楽園?」バリ島
○ ジャカルタ空港から正味1時間40分のフライトでバリ島ンガラ・ライ空港に到着する。空港からクタ・ビーチに近いホテルへ直行。道すがらに眺める風景、「これぞバリ!」を実感する。出迎えてくれたMr.Rinarno支店長とは3年ぶりの再会であった(左)。

○ クタからデンパサールの市街地を抜けて北へ約10km、バロン・ダンスと石像で知られるバトゥブランの町へ。野外にしつらえられた劇場のカブリツキで伝統芸能「バロン・ダンス」を鑑賞。ガメランと呼ばれる楽器の音に合わせて踊るバリ美女の手の指先、足の運び、そして眼の動き…、魅了の踊りはさすがである(右)。


花の町・チパナス
○ 外気は涼しく、朝晩は上着を重ねたくなるような気温となる。週末をのんびり高原気分を楽しむ人たちにとっては、最適なリゾート地といえそう。

○ 色とりどりの花でイッパイのタマン・ブンガ(花の植物園)や亜熱帯植物が中心のチボダス植物園などなど…。一帯が「花の町」と名づけられているのもうなずける。道路沿いに、延々と並べられている「盆栽風・ブーゲンビリア」の見事さには、圧倒された(トップ写真)。

○ 市場の店先に山と積まれた果物や野菜は飛ぶような売れ行きである。土産として買って帰ったトマトの味もすこぶる良かった(右)。


高原地帯・プンチャック〜チパナス
○ Mrs. Poetiray の別荘へ同僚仲間と1泊ドライブ。目的地は、ジャカルタの南方約65kmのボゴールからさらに35kmほど登った高原リゾート地の一角にある(右、上左)。

○ ボゴールからプンチャック峠への道は高原都市バンドンへ通じるメイン道路でもある。途中、道路の左右一面に広がるお茶畑では、籠を背中に蓑笠をかぶっての茶摘みが真っ最中であった(左)。


プランバナン寺院とボロブドゥール寺院
○ プランバナン寺院はジョグジャの東方約17kmにあり、世界のヒンズー教寺院建築の中でも有数のものといわれている。帰り際に遠景から振り返リ見ると、「細身の処女」ともいわれるその美しさに感銘し、しばしたたずんでしまった(左)。

○ 世界最大の仏教遺跡、ボロブドゥール寺院(右)。自然の丘を利用した各階の回廊からなっており、釈迦にまつわる彫刻、頂上の仏舎利塔、中央の巨大な卒塔婆、仏像などなど目を見張るものばかり。8世紀半ば頃に建てられ、発見されたのは千年後の18世紀になって火山灰の中からというから、想像するだけで「すごい」のひとことである。


中部ジャワのスマラン〜ソロ〜ジョグジャカルタへ
○ ジャカルタから東へ約600kmのスマランまで国内航空便で約40分。出迎えてくれたMr. Gusuli支店長の案内で、東部ジャワと中部ジャワの境にあるラウ山の麓までクルマで登った後は、テクテクの山登り。

○ 一時間ほどして眼下に絶景が広がる中腹にたどり着くと、ヒンズー時代最後の寺院といわれる「スク寺院」が現れる。14世紀に建てられたとのことであるが、「よくもこんな山中に!」 と驚かされる(左)。同じような寺が頂上に向けて転々と続いているが、この地点から引き返すことにした。

○ブンガワン・ソロ(ソロ川)の歌や宮廷の町で知られる中部ジャワのソロで宿泊。翌日は皇太子・雅子夫妻が訪問された時の写真が飾ってある銀製品の製作工場を見学した後、ジョグジャカルタ東方のプランバナン寺院(右)へ。


ジャワ島一の活火山と温泉場

○ バンドンから北へ15kmほど上り、レンバンの街から「軽井沢」を思わせる並木の坂道をさらに進むと、標高2095mのタンクバン・プラフ火山の河口付近にたどり着く。

○ 頂上から見下ろす火口付近は肌寒く、あいにくの霧と湧き上がる硫黄の煙で一面は真っ白で視界不良(左)。

○ レンバンの街へ戻りさらに10kmほど北へ進むと、チアテル温泉場。宿舎としたコテッジ付近は、ひんやりとした空気で深い緑の木々に心が和む。しょっぱい味のヌルヌル温泉もまたサイコーであった(右)。


高原都市・バンドンへ

○ ジャカルタの南東約180kmにある高原都市・バンドンへのドライブ途中、高速道を降りて一般道に入ると、道端に延々と続く「みやげもの屋さん」の風景に出会う。骨董品、おもちゃ、飾り物?などなど……。買う人が現れるのか、要らぬ心配をしたくなってしまう(左)。

○ 1955年にAA会議(バンドン会議)が開催されて有名になったバンドンは、国内5大都市のひとつ、落ち着いた雰囲気の街並みで学園都市ともいわれている。運転手が足で漕ぐ「ベチャ」は、住民の貴重な交通手段として欠かせないもののようだ(右)。


友人宅にお呼ばれ訪問

○ バリ島出身のMr. Nyoman は、郊外にある瀟洒な家に奥さんとふたりの娘さんと一緒に住んでいる。バリ風の建物ということで、中庭付き。その中庭のテーブルで頂いた奥さんの手料理は印象深いものがあった(写真左は玄関前で、大学2年生の次女と奥さん)。

○ 若い独身青年であるMr. Hanief は両親と一緒の生活。孫(甥)の誕生会ということで、近くに住む兄さんや姉さんたちの大家族が集合しての大賑わいとなった(写真右)。


金曜日の「お祈り」と余暇の利用

○ 毎週金曜日は勤務先においても聖なる1日となる。早朝7時から職場での「朝れん」、昼11時半頃(昼食前)には「お祈り」のためにモスクへお出かけ、そして夕方4時半には自宅へと急ぎ帰る…。金曜日は、まったく仕事にならない。
○ したがって、金曜日の昼食時の社員食堂は、数少ないキリスト教徒とヒンズー教徒の人たちに限られてひっそりした状態になってしまうし、ましてや、夕方になると話し相手に事欠く事態にもなってくる。

○ 「朝れん」は会社の前庭で朝7時の開始。エアロビクスの美女(美男)インストラクターの手ほどきで、社員の人気は上々。ときどき出かける近くのゴルフ場での「朝れん」もまたよし。ホテルに帰ってプールでの泳ぎやプールサイドでの土日の日光浴などもまた気分転換には最高である。


地上32階の生活

○ 生活の拠点となる住みかは、市の中心部からやや南方のビジネス街(スディルマン通り)にあるホテルの32階。3ベッドルーム、1バスルーム、1シャワールーム、キッチン&リビングルーム付きで、総面積はなんと98.5u。夜のトイレ行きでは、不気味さ(!?)を感じる広さである。

○ 窓から展望される寸描をいくつか……。近代的な高層ビルに隣接して建っている赤褐色屋根の古い民家。そこの住居人らしいハダシ姿の人たちの動き。市内のメイン道路を黒い煙を吐いて無秩序に走るバス、バイク、クルマ・クルマの洪水。無造作に棄てられたゴミで澱み、赤茶色に濁っている川。至るところで見られるドーム型屋根のモスクとそこからスピーカーに乗って聞こえてくる「お祈り」の声……。

○ そこには、秘められたある種の経済発展の源泉があると見るべきかも知れない。少なくとも、そう思いたい気分に駆られて来る。


人なつっこく、のんびりと、おとなしく、明るい

○ 開放的というべきか、楽観的というべきか。彼らの底抜けに明るい性格は、どこに起因しているのであろうか。うまいジョークの飛ばし術も見習うべきことのひとつである。

○ 相対的にお人よしで明るい性格の持ち主の人が多いものの、時と場合によって、また個々人によって、「口先だけ」とか「いい加減な」行動がママ見られるのも事実であリ、残念なことである。心がけて対処すべきことである。


独立記念塔(モナス)展望台からの風景

○ ジャカルタの中心部にある通称ムルデカ広場に聳え立つ高さ137mの塔の展望台から見下ろした風景。林立する高層ビル群には目を見張るものがある。右手に見えるふたつの建物はインドネシア中央銀行。

○ モナスは1945年8月17日の独立宣言を記念して着工されたもので、独立の年月日にちなんで、台座の辺の長さが45メートル、8メートル、17メートルで造られているとか。塔の上に輝く炎は35kgの純金といわれる。


アジア最大のモスク・イスラム寺院

○ 2億人近い人口を抱え、その約9割がイスラム教徒といわれる世界最大のイスラム国家・インドネシア。

○ ムルデカ広場に聳えるモナス(独立記念塔)を背にして、北側にひときわ目立つ白いおわん形の屋根。これが東南アジア最大のイスラム寺院・イスティクラル寺院である。

○ 故スカルノ時代に着工され、実に17年の歳月を掛けて建造された近代的な大建築物である。