【あ】
002 阿漕(あこぎ)


繰り返し繰り返し
シテ『影もほのかに見え初めて』
地『海辺も晴るゝ村霧に』
シテ『すはや手繰の』
地『網の綱。繰り返し繰り返し浮きぬ沈むと見しよりも。俄かに疾風吹き。海面暗くかき昏れて。頻波も立ち添ひ漁りの燈消え失せて。こハそも如何にと叫ぶ声乃波に聞えしばかりにて跡はかもなく。失せにけり跡はかもなく失せにけり』

(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 四番目(略五番目)
(季節) 九月
(稽古順) 一級
(所) 伊勢国阿濃郡津阿漕浦
(物語・曲趣) 日向国の男が伊勢参宮を思い立ち伊勢国阿漕が浦に来ると、漁翁に会ったので地名のいわれを尋ねる。

漁翁はそのいわれを説明し、「この浦が大神宮御膳調進のための禁漁の場所であるのに、阿漕という漁夫がたびたび密漁をしたために、ついに捕らわれてこの沖に沈められたことから出来た地名である」と語る。
さらに、漁翁は「このような昔話をするのも恥ずかしいことです」と言うので、旅人はこの漁翁が阿漕の幽霊である事を知る。

そのうち日暮れになり、漁翁は網の綱を手繰っていたが、突然疾風が吹き、暗くなった波間に消え失せて行った。そこで、旅人が法華経を読誦して弔っていると阿漕の霊が現れ、「密漁をやった様子や地獄で責めに苦しむさまなど」を示し、回向を頼んだのち再び波の底に入って行く。

この曲と「善知鳥」は執心物の好一対であり、主題はいずれも殺生の罪を呵責によって懺悔するところにある。しかし、「善知鳥」が家族に対する妄執を絡ませてやや複雑な情緒があるのに対して、「阿漕」は単純でそれだけ純な執心物ともいえる。
 
阿漕が浦=三重県津市東方の海岸。 
大神宮御膳調進=大神宮へのお供えの魚を整えるための網を引くところ。


ただ罪をのみ持網の
地『弔ふこそ頼り法の声』
シテ『耳にハ聞けども。なほ心にハ』
地『たゞ罪をのみ持網の。波ハ却って。猛火となるぞや。あら熱や。堪へがたや。丑三つ過ぐる夜の夢。見よや因果の廻り来る。火車に業積む数苦しめて。目の前乃。地獄も真なりげに。恐ろしの気色や』
シテ『思ふも恨めし古の』
地『思ふも恨めし古の。娑婆の名を得し。阿漕がこの浦に。なほ執心の。心引く網の手馴れし鱗類今ハ却って。悪魚毒蛇となって。紅蓮大紅蓮の氷に身を傷め。骨を砕けば叫ぶ息ハ。焦熱大焦熱乃。焔煙。雲霧。起居に隙もなき。冥土の責も。度重なる阿漕が浦の。罪科を済け給へや旅人よ。済け給へや旅人とて。また波に。入りにけりまた波の。底に入りにけり』

小謡
(上歌)『物の名も。所によりて変りけり。所によりて変りけり。難波の蘆乃浦風も。此処にハ伊勢の濱荻の音を変へて聞き給へ。藻塩焼く。煙も今ハ絶えにけり。月見んとての。海士の仕業にと。許され申す海士衣。敷島に寄り来る人なみにいかで洩るべき』

(役別) 前シテ 漁翁、 後シテ 阿漕、 ワキ 男 
(所要時間) 三十七分