【い】
010 夕顔(いうがお)


山の端の
シテ『山の端の。心も知らで。行く月ハ。上の空にて。影や絶えなん。巫山の雲ハ忽ちに。陽臺の下に消え易く。湘江の雨ハ屡々も。楚畔の竹を染むるとかや』

(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 三番目 (鬘物)
(季節) 九月
(稽古順) 一級
(所) 京都下京区堺町松原北入夕顔町
(物語・曲趣) 豊後の国の僧が社寺の拝みめぐりに出て五条の辺りに来ると、ある家の軒端で女が歌を詠む声がして、やがてその女が出て来た。僧は女に「ここの場所の名前」を尋ねると、「何某の院」と答える。

さらにそのいわれを問うと、女は「実は、ここは融の大臣の河原院の旧跡であって、後に夕顔上が物におそわれて死んだところである」と答える。女はさらに求められるままに「源氏物語の夕顔の巻」について語ったあと、姿を消した。

僧は、女主人公の浮かび切れない心の姿を哀れみ、夜もすがら法華経を読誦している。そこへ、夕顔上が現れて舞を舞い、回向のおかげで成仏し得たことを喜び、明け方の雲にまぎれて消え失せる。

法華経の功徳が、五障の罪深き女人の魂をも救うということを建前にしているが、曲全体を通じての表現は原作の「あわれな恋」の再現に終始しており、偶発的で、挿話的、瞬間的、そしてはかない情緒にまとわる神秘感が主題となっている。

何某の院=源氏物語夕顔巻に見える名で、古註には河原院であるという。
融の大臣=左大臣源融。京都六条に河原院を営んで住んだ人。
五障の罪深き女人=女は罪深くて、梵天、帝釈、魔王、天輪王、仏身になれないこと。


開くる法華の英も
シテ『お僧の今乃。弔ひを受けて』
地『お僧の今の。弔ひを受けて。数々嬉しやと』
シテ『夕顔乃笑の眉』
地『開くる法華の』
シテ『英も』
地『変成男子の願ひのまゝに。解脱の衣の。袖ながら今宵ハ。何をつつまんと言ふかなと思へば。音羽山。嶺乃松風通ひ来て。明け渡る横雲の。迷ひもなしや。東雲乃道より。法に出づるぞと。暁闇の空かけて。雲の紛れに。失せにけり』

小謡
(上歌)『つれなくも。通ふ心の浮雲を。通ふ心の浮雲を。払ふ嵐乃風のまに。真如の月も晴れよとぞ虚しき空に。仰ぐなる虚しき空に仰ぐなる』

(役別) 前シテ 里女、 後シテ 夕顔上、 ワキ 旅僧、 ワキツレ 従僧(二〜三人) 
(所要時間) 四十一分