【う】
012 鵜飼(うかい)
底にも見ゆる篝火に シテ『鵜籠を開き取り出し』 ワキ『島つ巣おろし荒鵜ども』 シテ『この川波にばつと放せば』 地『面白の有様や。底にも見ゆる篝火に。驚く魚を追ひ廻し。潜き上げ抄ひ上げ。隙なく魚を食ふ時ハ。罪も報いも後の世も忘れ果てゝ面白や。みなぎる水の淀ならば。生簀の鯉や上らん玉島川にあらねども。小鮎さばしるせゞらぎに。かだみて魚ハよもためじ。不思議やな篝火の。燃えても影の暗くなるハ。思ひ出でたり月になりぬる悲しさよ。鵜舟の篝影消えて。闇路に帰るこの身の名残惜しさを如何にせん名残惜しさをいかにせん』 |
(作者) 榎並左衛門五郎の原作を世阿弥元清が改作したもの
(曲柄) 五番目
(季節) 五月
(稽古順) 四級
(所) 甲斐国東八代郡石和
(物語・曲趣) 安房の国清澄の僧が甲州行脚に出かけ、石和川の畔の堂に泊まっていると、鵜使いの老人が鵜を休めるためにそこに立ち寄って来た。
この老人を見た僧が「あなたは二〜三年前に私を接待してくれた鵜使いに似ている」と言うと、老人は「その鵜使いは禁漁を犯したために殺された」と語って、「自分がその亡者である」ことを告げ、罪障懺悔のために鵜を使って見せた後に消え失せた。
そこで、僧が法華経の文句を石に一文字づつ書き付けて、それを川に投げ入れて回向をすると、閻魔王が現れて「あの鵜使いは、おびただしい罪業のために地獄に落ちるはずであったが、僧接待の功徳によって極楽に送られることになった」と告げて法華経の功徳を讃えるのである。
主題とするところは、法華経礼讃にあると言える。
清澄=日蓮上人の誕生地である小湊の西北の山中に、日蓮が出家得度した清澄寺がある。
石和川=笛吹川の別名。甲武信嶽がら出て、末は冨士川に入る。
罪障懺悔=罪業によるさわりの懺悔。
一僧一宿の功力に引かれ シテ『それ地獄遠きにあらず。眼前の境界。悪鬼外になし。抑もかの者。若年の昔より。江河に漁つてその罪夥し。されば鉄札数を尽し。金紙を汚す事もなく。無間の底に。堕罪すべかつしを。一僧一宿の功力に引かれ。急ぎ佛所に送らんと。悪鬼心を和らげて。鵜舟を弘誓の船になし。法華の御法の済け船。篝火も浮かむ気色かな』 |
■法事・追加 地『げに往来の利益こそ。他を済くべき力なれ他を済くべき力なれ』 |