【え】
018 江口(えぐち)


月の夜舟を御覧ぜよ
ワキ『不思議やな月澄み渡る水の面に。遊女のあまた謡ふ謡。色めきあへる人影ハ。そも誰人の舟やらん』
シテ『なにこの舟を誰が舟とハ。恥ずかしながら古の。江口乃君の川逍遥の月の夜舟を御覧ぜよ』
ワキ『そもや江口乃遊女とハ。それハ去りにし古の』

(作者) 五音及び観世大夫書上によると観阿弥の作と思われるが、二百十番謳目録及び金春八左衛門書では禅竹の作とし、能本作者註文・歌謡作者考等には世阿弥作とある。
(曲柄) 
三番目
(季節) 九月
(稽古順) 一級
(所) 大阪市東淀川区江口町
(物語・曲趣) 廻国の僧が都から摂津天王寺への途中、江口の里に来て遊女江口の君の旧跡を弔い、西行法師が昔ここで宿を断られた際に詠んだ歌である「世の中を厭うまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな」と口ずさんでいる。

そこへひとりの女が現れて、「それは一夜の宿を惜しんだのではなくて、この世も仮の宿であるからそれに執着しないようにと忠告したまでのこと」と弁解していたが、黄昏どきになって「実は、私はその江口の君の幽霊です」と言って消え失せた。

その後、旅僧が奇特な思いで弔っていると、江口の君が他の遊女達と一緒に舟に乗って現れ、遊女の境遇を謡ったり、舞を舞って見せたりしていたが、やがて江口の君の姿は普賢菩薩と変わり、舟は白象となって、白雲に乗って西の空へ去って行った。

遊女達が哀れな境遇について謡い語るところが眼目である。その文句が艶かしさと宗教的な寂しさとが交錯しているかのようで、その情趣と仏の教えとを全体のねらい所としている。

江口の里=東淀川区江口町。往時は水駅として賑わった所。
西行法師=鳥羽院北面の武士佐藤義清の出家後の名称。歌人として有名。
世の中を厭うまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな=出家することは難しいだろうが、僧に一夜の宿ぐらい貸してくれても良かろう。
普賢菩薩=江口の遊女は普賢菩薩の化現であったという伝説により、ここで本体を現したことを指す。
白象=普賢菩薩の乗り物。

小謡
(上歌)『惜しむこそ。惜しまぬ仮の宿なるを。惜しまぬ仮の宿なるを。などや惜しむと夕波の。返らぬ古ハ今とても。捨て人の世語に。心な留め給ひそ』

小謡
(上歌)『川舟を。泊めて逢ふ瀬の波枕。泊めて逢ふ瀬の波枕。浮世乃夢を見ならはし乃。驚かぬ身の儚さよ。佐用姫が松浦潟。片敷く袖の涙の唐士船乃名残なり。また宇治乃橋姫も。訪はんともせぬ人を待つも身の上と哀れなり。よしや吉野の。よしや吉野の花も雪も雲も波もあはれ。世に逢はヾや』

小謡
(下歌)『謡へや謡へ泡沫の。あはれ昔の恋しさを今も。遊女乃舟遊。世を渡る一節を謡ひて。いざや遊ばん』

(役別) 前シテ 里女、 後シテ 江口ノ君、 ツレ(後) 遊女(2人)、 ワキ 旅僧、 ワキツレ 従僧(二〜三人)
(所要時間) 五十分