【か】
026 柏崎(かしわざき)


怨めしの我が子や
上歌『父が別れハ如何なれば。父が別れハ如何なれば。悲しみ修行に出づる身の。生きてある。母に姿を見みえんと。思ふ心のなかるらん。怨めしの我が子や。憂き時ハ。怨みながらもさりとてハ。我が子の行方安穏に。守らせ給へ神仏と祈る心ぞ。哀れなる祈る心ぞ哀れなる』

(作者) 榎並左衛門五郎。ただし、現行曲は世阿弥の改作。
(曲柄) 四番目 (略三番目) 狂女物
(季節) 十月
(稽古順) 二級
(所) 前、越後国柏崎
     後、信濃国長野善光寺
(物語・曲趣) 訴訟のため鎌倉にいた越後国柏崎の某が病没したので、一緒にいた子の花若はこれを嘆き、出家すると言って行方不明になった。

そこで、家臣の小太郎は主の形見と花若の文を携えて故郷に帰り、それを花若の母に手渡す。
夫の死を知り、さらに花若の文を読んだ母は悲しみ、子の遁世を怨んで神仏に我が子の安穏を祈ったりする。

一方、信濃国善光寺の住僧は、弟子入りした花若を伴って如来堂に参詣する。また、花若の母は、悲嘆のあまりに心が乱れ、柏崎を狂い出て善光寺にたどり着いた。そこで亡夫の後生善所を祈っているうちに物狂おしくなり、携えて来た亡夫の烏帽子直垂を身に着けて、弥陀讃仰の曲舞を舞った。

その様子を見ていた花若が自分を名乗ると、母の方でも我が子と知ってその再会を喜ぶのである。

妻として、夫の死に対する悲しみからの狂乱と、母として子供の遁世に対する悲しみからの狂乱とのふたつの主題が交錯して、普通の狂乱物よりも複雑な情緒を与えている。

狂女に弥陀讃仰の曲舞を舞わせるのが主眼である。.

わが子の踪失に対する不安と焦燥は最後にその子と名乗り会えることによって解消するが、死別した夫に対する恋慕の情は永久に癒されない痛手として彼女に残る。ただ、わが子とのめぐり合いがそれを緩和し、弥陀の慈悲がそれを慰めている。

柏崎=新潟県柏崎市。
善光寺=長野県長野市にある古刹。
後生善所=死後に極楽に生まれること。


よくよく見れば
シテ『我が子ぞと。聞けば余りに堪へかぬる。夢かとばかり思ひ子の何れぞさても不思議やな』
地『共にそれとハ思へども。変わる姿ハ墨染乃』
シテ『見しにもあらぬ面忘れ』
地『母の姿も現なき』
シテ『狂人と云ひ』
地『衰へと云ひ。互に呆れてありながら。よくよく見れば。園原や伏屋に生ふる箒木の。ありとハ見えて逢はぬとこそ。聞きしものを今ハはや。疑ひもなき。その母や子に逢ふこそ嬉しかりけれ逢ふこそ嬉けれ』

小謡
(上歌)『父が別れハ如何なれば。父が別れハ如何なれば。悲しみ修行に出づる身の。生きてある。母に姿を見みえんと。思ふ心のなかるらん。怨めしの我が子や。憂き時ハ。怨みながらもさりとてハ。我が子の行方安穏に。守らせ給へ神仏と祈る心ぞ。哀れなる祈る心ぞ哀れなる』

(役別) 前シテ 花若ノ母、 後シテ 狂女(前同人)、 子方 花若、 ワキ(前) 小太郎、 ワキツレ(後) 善光寺住僧
(所要時間) 五十八分