【か】
034 邯鄲(かんたん)


楽の中
地『四季折々は目の前にて。春夏秋冬萬木千草も。一日に花咲けり。面白や。不思議やな。かくて時過ぎ頃去れば。かくて時過ぎ頃去れば。五十年の栄華も尽きて。真ハ夢の中なれば。皆消え消えと失せ果てゝ。ありつる邯鄲乃枕の上に。眠りの夢ハ。覚めにけり』

(作者) 二百十番謳目録・自家伝抄は世阿弥作とし、能本作者註文・歌謡作者考・異本謳曲作者は作者不明としている。
(曲柄) 四番目 (略初能)
(季節) 不定
(稽古順) 二級
(所) 支那河北省大名道邯鄲ノ里
(物語・曲趣) 蜀の国の盧生という者が、人生の帰趨に迷って、楚国羊飛山の聖僧から悟道の教えを受けようと思って旅立つ。

途中、邯鄲の里で泊まり、聞き及んだ邯鄲の枕を借りて一睡した。眠りの中で、盧生は「王位を譲られて栄華のうちに五十年を過ごし、臣下が千年の齢を保つ仙薬の盃を捧げたので酒宴を催し、自分も楽を奏していた」というような夢を見る。

そのうち、宿の主に起こされて、その夢は消え失せていた。

盧生は夢から覚めると、その夢がわずかに一炊の間のはかない夢に過ぎなかったことを知り、しみじみと歓楽のはかなさを悟る。

そして、盧生は「何事も夢の浮世」と悟ることが出来たので、この枕こそ善智識であったと喜んで帰るのである。

蜀の国=支那三国時代の国名。現在の四川省地方。
楚国=現在の湖南、湖北両省地方に当たる。
羊飛山=所在不明。おそらく謡曲作者の仮作した地名であろう。
邯鄲の枕=奇蹟のある枕。盧生が邯鄲の宿で不思議な枕をして眠り、夢の中で五十年の栄華を極めたと言う故事。
一炊の間=粟飯を炊く間。

小謡
(上歌)『ありがたの気色やな。ありがたの気色やな。元より高き雲の上。月も光ハ明らけき。雲龍閣や阿房殿。光も充ち満ちてげにも妙なる有様乃。庭にハ金銀の砂を敷き。四方の門辺乃玉の戸を。出で入る人までも。光を飾る装ひハ。實や名に聞きし寂光の都喜見城の。楽しみもかくやと思ふばかりの気色かな』

小謡
(上歌)『我が宿乃。菊の白露今日毎に。幾代積りて渕となるらん。よも尽きじよも尽きじ薬の水も泉なれば。汲めども汲めども弥増に出づる菊水を。飲めば甘露もかくやらんと。心も晴れやかに。飛び立つばかり有明の夜昼となき楽しみの。栄華にも栄耀にもげにこの上やあるべき』

仕舞
シテ『何時までぞ。栄華の春も。常盤にて』
地『なほ幾久し有明乃月』
シテ『月人男の舞なれば。雲の羽袖を。重ねつヽ。喜びの歌を。謡ふ夜もすがら』
地『謡ふ夜もすがら日ハ又出でゝ。明らけくなりて。夜かと思へば』
シテ『昼になり』
地『昼かと思へば』
シテ『月またさやけし』
地『春の花咲けば』
シテ『紅葉も色濃く』
地『夏かと思へば』
シテ『雪も降りて』
地『四季折々は目の前にて。春夏秋冬萬木千草も。一日に花咲けり。面白や。不思議やな。かくて時過ぎ頃去れば。かくて時過ぎ頃去れば。五十年の栄華も尽きて。真ハ夢の中なれば。皆消え消えと失せ果てゝ。ありつる邯鄲乃枕の上に。眠りの夢ハ。覚めにけり』

(役別) シテ 盧生、 子方 舞童、 ワキ 勅使、 ワキツレ 大臣(三人)、 ワキツレ 輿舁(二人) 
(所要時間) 三十五分