【き】
036 菊慈童(きくじどお)


手折り伏せ
地『即ちこの文菊の葉に。即ちこの文菊の葉に。悉く顕る。さればにや。雫も芳しく滴りも匂ひ。渕ともなるやん谷陰乃水の。所ハれっ縣乃山の滴り菊水の流れ。泉ハ元より酒なれば。汲みてハ勧め掬ひてハ施し。我が身も飲むなり飲むなりや。月ハ宵の間その身も酔ひに。引かれてよろよろよろよろと。たヾよひ寄りて枕を取り上げ戴き奉り。げにもありがたき君の聖徳と岩根の菊を。手折り伏せ手折り伏せ。敷妙の袖枕。花を筵に臥したりけり』

(作者) 不明
(曲柄) 四番目 (略初能)
(季節) 九月
(稽古順) 五級
(所) 支那河南省汝陽道内郷縣?縣山
(物語・曲趣) れっ縣山の麓から薬水が流れ出ると言うので、「その源を見て参れ」との勅命を受けた魏の文帝の臣下が、やがて山にたどり着く。

たどり着いた庵の中から異様な童子が現れたので、臣下が名前を問うと「周の穆王に使われた慈童だ」と言う。臣下は「七百年も昔の者がどうして今まで生きているのか」と怪しむと、慈童は二句の偈を書いた枕を示して次のように語る。

「この枕は穆王から賜ったものであるが、この偈を菊の葉に書いて置くと、その葉に置く露が滴り流れて不老不死の霊薬になるので、そのために七百歳を生きているのです」と。

やがて、童子は楽を奏したり、菊水の流れを汲んで勧めたりして、自分も飲むうちに酔って菊の花を枕に伏せた。そして、七百歳の寿命を君に捧げてから、菊をかき分けて仙家に帰るのである。

昔から、不死は人間の究極の願望であったが、老衰の不死はそれほどの価値が置かれていない。不老が必要条件となって不死は人間の理想となった。したがって、この曲は人生の永久の春の讃美が主題となっている。

菊の花のめでたさを強調するのが本曲の目的であり、菊の中に住み永久の童子となっている

慈童を神仙らしく感じさせるように工夫している。季節は秋であるが、淋しさはなく、爽やかな気分の表現に注意している。

?縣山=れっけんざん。支那河南省ケ州にある山。
薬水=長寿の霊酒の泉をいう。
穆王=ぼくおう。武王から第五代の王。
二句の偈=にくのげ。偈は詩句で法門を述べて佛徳を讃歎したものをいう。ここでは法華経普門品(ふもんぼん。法華経二十八品中の第二十五、すなわち妙法蓮華経観世音菩薩普門品の略)の二句の偈文を指す。
菊水の流れ=菊の滴りの集まった霊水の流れを指す。

■小謡
上歌『夢もなし。いつ楽しみを松が根の。いつ楽しみを松が根乃。嵐の床に仮寝して。枕の夢ハ夜もすがら身を知る袖ハ乾されず。頼みにし。かひこそなけれ獨寝の枕詞ぞ。怨みなる枕詞ぞ怨みなる』

シテ『元より薬乃。酒なれば。』
地『元より薬の酒なれば。酔ひにも侵されずその身も変わらぬ七百歳を保ちぬるも。この御枕の故なれば。いかにも久しき千秋の帝。萬歳乃我が君と。祈る慈童が七百歳を。我が君に授け置き。所はれっ縣の山路の菊水。汲めや掬べや飲むとも飲むとも。尽きせじや尽きせじと。菊かき分けて山路乃仙家に。。そのまま慈童は。入りにけり』

(役別) シテ 慈童、 ワキ 勅使、 ワキツレ 従臣(二人)
(所要時間) 十五分