【く】
040 熊坂(くまさか)


支證なき手柄
クセ『支證なき手柄』
地『似合はぬ僧の腕立さこそをかしと思すらん。さりながら仏も弥陀の利剣や愛染ハ方便乃弓に矢をはげ。多聞ハ矛を横たへて。悪魔を降伏し災難を払ひ給へり』

(作者) 能本作者註文・歌謡作者考・異本謳曲作者には作者不明、金春八左衛門書上及び二百十番謳目録には禅竹作とある。
(曲柄) 五番目 (略二番目)
(季節) 九月
(稽古順) 五級
(所) 美濃国不破郡赤坂青野原
(物語・曲趣) 都方の僧が東国修行に出かけ、美濃国赤坂まで来ると、ひとりの僧が現れて呼びとめ「今日はさる人の命日だから回向を頼む」と言って自分の庵に案内する。

旅僧が庵の持仏堂に入ると、そこには絵像も木像もなく、長刀などの武具が置いてあるので不思議に思ってそのわけを訊ねる。

すると、「この辺りは山賊や夜盗が出没するので、そのとき長刀を提げて助けに行くのです」と言って消える。

そこで、旅僧が終夜読経をしていると、熊坂長範の幽霊が現れて「この赤坂に泊まった吉次信高を襲い、却って牛若丸に討たれた」次第を語り、回向を乞いながら消え失せるのである。 

怪盗熊坂の長範の幽霊が現れて、妄執を晴らして成仏させて欲しいと旅僧にすがり、昔の姿を現わして牛若に打たれた最後の物語をするというところが本曲の主題でもある。それは成仏を求める者の義務としての懺悔物語とも解される。

持仏堂=仏間。仏壇のある室。
吉次信高=義経記に「その頃三條に大幅長者あり。その名を吉次信高とぞ申しける。毎年奥州に下る金商人なりける」と見えている。


折妻戸を小楯に取って
地『熊坂思ふやう。物々しその冠者が。斬ると云ふともさぞあるらん。熊坂。秘術を。奮ふならば如何なる天魔。鬼神なりとも。宙に掴んで微塵になし。討たれたる者共の。いで孝養に報ぜんとて。道より取って返し例の長刀引きそばめ。折妻戸を小楯に取って。かの小男を。覘ひけり。牛若子ハ御覧じて。太刀抜きそばめ物間を。少し隔てゝ待ち給ふ。熊坂も長刀かまへ。たがひにかゝるを待ちけるが。苛つて熊坂さそくを踏み鉄壁も。徹れと突く長刀を。はつしと打って。弓手へ越せば。追つ懸けすかさず込む長刀に。ひらりと乗れば。刃向になし。しさつて退けば。馬手へ越すを。おつ取り直してちゃうと切れば。宙にて結ぶを解く手に。却つてはらへば飛び上つて。そのまゝ見えず。形も失せて。此処や彼処と尋ねる処に思ひも寄らぬ後より。具足の隙間をちゃうと斬れば。こハ如何にあの冠者に。斬らるゝ事の。腹立さよと。言へども天命の。運乃極めぞ無念なる』

小謡
(上歌)『御弔ひを身に受けば。御弔ひを身に受けば。たとひその名ハ名のらずとも。受け喜ばヾ。それこそ主よありがたや。回向ハ草木国土まで。洩らさじなれば別きてその。主にと心あてなくとも。さてこそ回向なれ浮かまでハ如何あるべき』

小謡
(シテ)『されば愛著慈悲心ハ』
(地)『達多が五逆に勝れ。方便の殺生ハ。菩薩の。六度に優れりとか。これを見かれを聞き他を是非知らぬ身の行方。迷ふも悟るも心ぞや。されば心の師とハなり。心を師とせざれと古き詞に知られたり』


(役別) 前シテ 僧、 後シテ 熊坂長範、 ワキ 旅僧
(所要時間) 三十五分