【く】
042 車僧(くるまぞお)
太郎坊が庵室に 上歌『見聞く人。心空なる雲水の。心空なる雲水の。深立つ空も冷ましく。嵐も声ゞに愛宕山。峯どよむまで響きあひて。車路ハなけれども。我が住む方ハ愛宕山。太郎坊が庵室に。御入りあれや車僧と。呼ばはりて夕山乃黒雲に乗りて。上がりけり黒雲に乗りて上がりけり』 |
(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 五番目 (略一番目)
(季節) 十二月
(稽古順) 五級
(所) 山城国嵯峨野
(物語・曲趣) いつも破れ車で乗りまわることから車僧と呼ばれている奇僧が、ある雪の日の夕方に、西山の麓に来て雪景色を眺めていると、ひとりの山伏が来て禅問答を仕掛ける。
しかし、車僧に勝つことは出来ず、「俺は愛宕山の太郎坊に住む恐ろしい者なのだ」と言って、黒雲に乗って去った。
やがて、再び本当の天狗の姿で現れて、車僧を魔道に引き入れようとして行力くらべを挑んだ。
しかし、牛も人も引かないような車を自在に飛行させて見せる車僧の行力に驚いたり、どんなに嚇しても自若としている相手の態度にあきれたりしていた。
そしてついに仏法の妨碍をあきらめ、車僧に敬意を表して立ち去るのである。
愛宕山の天狗太郎坊が、車僧の増上慢の気質に付け込んで魔道に誘惑しようと試みたけれど、これに成功しなかったという話である。
天狗は、奇怪さとともに一種の愛嬌をも感じさせるものであったらしく、仏法障碍の不成功ということも天狗の性格の具体的表現に使われている。しかも山中に住んでいる点などから超世間的な味をも感じさせるが、その天狗の相手として、これも風変わりな奇僧を選び、両者の禅問答などによる超世間的興趣を狙ったもので、特に雪の日にしたのもこの興趣を詩化する方法であったと思われる。
愛宕山の太郎坊=天狗の名称である。
苔を振り上げ車を打つ ワキ『遊ばゞ遊べ糸遊の。我が心をば引かれめや』 シテ『などかハ引かであるべきと。苔を振り上げ車を打つ』 ワキ『おう車を打たば行くべきか。牛を打たば行くべしや』 シテ『げにげに車ハ心なし。さて牛を打たんもあらばこそ』 ワキ『愚かや汝人牛の道。見えたる牛をばなど打たぬ』 シテ『見えたる牛とハさて如何にそも人牛ハ』 ワキ『打つとも行かじ』 |
■小謡 (地)『三界無安猶如火宅をば。出でたる三つの。車僧かな。めぐるも直なりけりおう。乗り得たり乗り得たり』 |