【こ】
047 高野物狂(こおやものぐるい)


文の中
シテ『まづまづ御文を見うずるにて候。それ受け難き人身を受け。遇ひ難き如来の教法に遇ふぃ事。暗夜の灯火。渡りの船待ち得たる心地して。我を覚めん夢の世に。今を捨てずハ徒に。又三途にも帰らん事。嘆きてもなほ余りあり。この生にこの身を浮かめずハ。何時の時をか。頼むべき。然るに一子出家すれば。七世の父母成仏すと云へり。この身を捨てヽ無為に入らば。別れし父母乃御事のみか。生ヾの親を助けん事。これに如かずと。思ひ切りつヽ家を出で。終行の道に赴くなり。父母に別れしその後ハ。たヾおことをこそ只管に。父とも母とも頼みつれ。かくとも申さで別るヽ事。乳房の恩乃父母に。二度別るヽ心地して。名残こそ惜しう候へ。構へて尋ね給ふなよ。三年が内にハ必ず必ず。身の行方をも知らせ申さん。墨衣思ひ立てどもさすが世を。出づる名残の袖ハ濡れけり』

(作者) 世阿弥の申楽談義には世阿弥作とあるが、クセの部分は五音に節曲舞・元雅曲としてあることから、観世大夫書上にある通り、世阿弥・元雅両人の作とするのが穏当であろう。ただし、歌謡作者考及び異本謳曲作者はともに作者不明とし、自家伝抄には日吉佐阿弥作とある。
(曲柄) 四番目(略二番目)
(季節) 不定
(稽古順) 一級
(所) 前、常陸国
    後、紀伊国伊都郡高野山
(物語・曲趣) 常陸国平松家の家来高師四郎は、父に死別した幼主春満を守り育てていた。

ところが、主人の忌日に寺詣でをした留守に、春満が「父母の菩提を弔うために遁世をする」旨の書置きをして家出をした。悲嘆にくれた四郎はその行方を尋ねて旅に出る。

春満は出家を望んで、紀州高野山の僧を尋ねる。

僧が春満を三鈷の松に連れて行き慰めているところへ、狂人になった四郎が幼主の遺書を持って行方を探しながら山に登って来た。

僧が異形の者の山入りを咎めると、四郎は「出家を望む者だから構わない」と答え、さらに「この山が霊地であることや、三鈷の松の由来など」を語ったり、舞を舞っているうちにうっかり狂態を演じてしまう。

春満は先刻から四郎のことに気づいていたが、四郎が自分の狂態を僧に謝っているときに、春満が自分を名乗ったので、四郎は喜ぶ。四郎は春満に帰国を勧め、相携えて下山するのである。

幼主との再会よりも、むしろ高野山を取り扱ったところに重点があり、高野山信仰を中心に構想したものである。

構成は戯曲的で、それを叙情的叙景の詞句で織り交ぜ、結局は高野山霊験記ともいうべき方向へ誘っている。

三鈷の松=さんこの松。高野山御影堂の前にある。


肌身に添ふるこの文を
シテ『誘はれし。花乃行方を尋ねつヽ』
地『風狂したる心かな』
シテ『肌身に添ふるこの文を』
地『懐紙と。人や見ん』

小謡
(上歌)『慈眼視衆生悉く。慈眼視衆生悉く。誓ひ普き日乃影の。曇りなき世の御恵み。後の世かけて。頼むなり後の世かけて頼むなり』

小謡
(上歌)『恨めしの御事や。たとひ世を捨て給ふとも。三世乃契りなるものを。何処までも御供に。などや伴ひ給はぬぞ。今ハ散り行く花守乃。頼む木蔭も嵐吹く。行方や何地雲水の。跡を慕ひて何処とも知らぬ道にぞ。出でにける知らぬ道にぞ出でにける』


(役別) 前シテ 高師四郎、 後シテ 前同人、 子方 平松春満、 ワキ 高野山ノ僧、 ワキツレ 従僧(二〜三人)
(所要時間) 四十五分