【こ】
050 小袖曾我(こそでそが)


男舞の中
地『この程時致が。尽す心に引きかえて。今ハ何時しか思ひ子乃母の情ありがたや。余りの嬉しさに祐成お酌に立ちてとりどり時致と共に祝言乃謡ふ声』
シテ 五郎『高き名を。雲居に掲げて富士乃嶺の』
地『雪を廻らす舞のかざし』

(作者) 宮増某(自家伝抄)。ただし、能本作者註文・異本謳曲作者・古歌謡作者考は、ともに作者不明としている。
(曲柄) 四番目
(季節) 五月
(稽古順) 五級
(所) 相模国下曽我
(物語・曲趣) 建久四年五月、頼朝が冨士の巻狩りを催す機会があったので、これを機会に十郎・祐成五郎・時致の曽我兄弟は時致の勘当を許してもらったうえで、敵の祐経を討とうと思い、家人の團三郎・鬼王を連れて母を訪れた。

母は祐成には会ったが、時致に対しては「母の言葉に従わないで勝手に箱根の寺を出たのだから、なお重ねての勘当だ」と面会を許さない。

祐成は、「私の力になる弟にそういう態度をとられるのは、実はこの祐成をも思ってくださらないからであろう」と怨み、さらに時致の孝心のほどを述べた後、二人一緒に泣きながら出て行く。

すると母は堪えかねてふたりを呼び止め、時致の勘当を許した上、久しく会わなかった間の物語をさせる。

祐成は喜んで酌に立ち、兄弟一緒に舞を舞う。そのうち、それとなく母に別れを告げ、勇んで狩場へ向かって行った。

兄弟の母に対する感情が一応主題のようにも見えるが、実は兄弟の友愛が主題となっている。

「小袖曽我」と題しながら、本文の中に小袖のことが一言半句も示されていないのはおかしなことであるが、原型の「曽我物語」には祐成が門出のはなむけとして母に小袖を乞い、また時致のためにも乞いながらも退けられるところがある。

冨士の巻狩り=頼朝が催した富士の裾野の巻狩り。巻狩りは四方を取り巻いて行う狩。
十郎・祐成=河津三郎祐泰の子。五歳の時に父が祐経に討たれ、後に母の再縁にともない曽我祐信に養われた。
五郎・時致=十郎祐成の弟。幼い頃、箱根の別当に預けられ法師になるはずであったが、父の敵を討たんがために、密かに母に隠して元服したために母の怒りに触れて勘当を受けた。
勘当=悪行のために君父の怒りに触れて、君臣親子の縁を絶たれることをいう。
祐経=工藤左衛門尉。父祐継から相続すべき所領を伊東祐親に横領されたと恨み、祐親お狙ってその子である河津三郎を殺害したのである。

小謡
(上歌)『木隠れて。それとハ見えじ梓弓。それとハ見えじ梓弓。矢頃にならば鹿よりも。祐経を射とゞめて。名を富士の嶺に揚げばやと。思ひ立ちぬる狩ごろも。たとへば君乃御咎め。よしそれとても数ならぬ。身にハなかなか。恐れなし身にハなかなか恐れなし』

獨吟
地『舞のかざし乃その隙に。舞のかざし乃その隙に。兄弟目を引き。これや限りの親子乃契りと。思へば涙も尽きせぬ名残。牡鹿乃狩場に遅参やあらんと。暇申して。帰る山の。富士野の御狩乃。折を得て。年来の敵。本望を遂げんと。互に思ふ。瞋恚の焔。胸乃煙を富士颪に。晴らして月を。清見が関に。終にハその名を留めなば兄弟親孝行乃。例にならん。嬉しさよ』

(役別) シテ 曽我十郎祐成、 ツレ 曽我五郎時致、 ツレ 曽我兄弟ノ母、 ツレ(二人同装) 團三郎鬼王
(所要時間) 三十一分