【さ】
051 西行櫻(さいぎょおざくら)


埋木の人知れぬ身と沈めども
地『あたら櫻の蔭暮れて。月になる夜の木乃下に。家路わわすれて諸共に今宵ハ花乃下臥して夜と共に眺めあかさん』
シテ『埋木の人知れぬ身と沈めども。心の花ハ残りけるぞや。花見んと群れつヽ人の来るのみぞ。あたら櫻の。とがにハありける』

(作者) 能本作者註文・歌謡作者考・異本謳曲作者・金春八左衛門書上・二百十番謳目録は、いずれも禅竹の作としているが、五音によって世阿弥の作とすべきであろう。また観世大夫書上には「世阿弥節附」と記されている。
(曲柄) 四番目 (略三番目)
(季節) 三月
(稽古順) 準九番習
(所) 京都市右京区松尾町上山田西行庵
(物語・曲趣) ある日、各所の花見を歩き廻っている京都下京辺の人達が西山の西行庵室の花見にやって来る。

西行は、この庵室の前にある老木の櫻を愛して独り静かに眺め暮らそうと思っていた。

そこへ、この花見の人達がやって来たのであるが、これを断ることも出来ず、柴垣の戸を開いて中に入れる。

そして、西行はその心境を「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら櫻のとがにはありける」と詠み、その夜は都の人達と一緒に花の下臥をした。

深更に及んで、白髪の老人が現れ、「花見の人々が尋ねてくるのは櫻の咎である」と言ったので、「非情の櫻に浮世の咎はないはずです」と弁解した。

そこで、西行が「御身は花の精か」と尋ねると、「実は老木の櫻の精である」と答え、花の名所を語って打ち興じ、舞を舞って春の夜を楽しんでいたが、夜明けが近づくと西行の夢は覚め、翁の姿は跡形もなくなるのである。

花の精を若い女性とせずに老人としたのは、春の華やかな気分の中にも閑寂な情趣を持たせて、西行の隠遁生活との融和を企てたためであろう。

西行庵室の花見=京都の西山の嵯峨にある西行法師の庵の櫻。
花の下臥=花の木の下に寝ること。

小謡
(上歌)『捨人も。花にハ何と隠家の。花にハ何と隠家の。所ハ嵯峨の奥なれども。春に訪はれて山までも浮世乃性になるものを。げにや捨てヽだに。この世乃外ハなきものを何処か終の。住処なる何処の終の住処なる』

小謡
(上歌)『恥ずかしや老木の。花も少く枝朽ちてあたら櫻の。とがのなき由を申し開く花の。精にて候なり。およそ心なき草木も。花実の折ハ忘れめや。草木国土皆成仏の御法なるべし』

(役別) シテ 老櫻ノ精、 ワキ 西行上人、 ワキツレ 花見人、 ワキツレ 同行者(数人)
(所要時間) 四十七分