【さ】
052 櫻川(さくらがわ)

櫻川史跡
所在地:宮崎県妻町

木花神社のご祭神木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が三皇子を出産されたとき産湯に使われたと伝えられる霊泉



霊泉桜川
藩政時代は飫肥藩主伊東氏が木花神社参拝の折はこの霊泉を必ず愛飲し、地元住民もまた飲用水として保存してきたが、近時湧水量減少したのは惜しいことである。


昔、この泉のほとりに貧しい夫婦者がいた。その桜木(子ども)はそれを見かね自ら人買に身を売り金を家に残して人買に連れ去られた。母はそれを嘆き悲しみ我子を探し求めて旅に出、三年の後、常陸の国桜川で今は僧になった桜子に会い、母子ともにこの地に帰り幸福に暮らしたという。桜子は木花咲耶姫命に祈願して授かった申し子であったので、ご神霊の加護によって我子を探し当てたのであると伝えている。
無戸室の跡
ご祭神木花咲耶姫は「戸の無い産屋」で三皇子を出産された…。
この伝説は謡曲「桜川」となり今にこの地に語り伝えられ、世に知られている。(現地案内板より)


国栖魚やかゝらまし
シテ『三吉野の』
地『三吉野の。三吉野の。川淀瀧つ波の。花を抄はゞ若し。国栖魚やかゝらまし。又ハ櫻魚と。聞くもなつかしや。何れも白妙の。花も櫻も。雪も波もみながらに。抄ひ集め持ちたれども。これハ木々の花まことハ。我が尋ぬる。櫻子ぞこひしき我が櫻子ぞ恋しき』

(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 四番目 (略三番目) 狂女物 
(季節) 三月
(稽古順) 三級
(所) 前、日向国児湯郡妻町
     後、常陸国真壁郡東那珂村磯部櫻川
(物語・曲趣) 東国の人商人が日向国で少年を買い取り、その少年の手紙と身代金を少年の母に届ける。母は驚き悲しみ、子の行方を尋ねようと泣く泣く故郷を迷い出る。

常陸国磯部寺の僧が、自分の弟子にした少年を連れて櫻川へ花見に行く。

すると、流れる花を網で掬って狂っている女が、今日も櫻川へ来たのでそのわけを聞く。

女は「わが子の名を櫻子といい、この川の名もまた櫻川というので、散る花を徒らにしないようにと思って掬っているのです」と答える。

里人が「にわかに山嵐がして花が散るよ」と言うと、今まで正気であった女が次第に狂乱して川の中で花を掬う。

その狂乱の鎮まった後で、少年が櫻子であることを告げると、母は夢かと喜んで一緒に故郷へ帰って行く。

流れる花をあたかもわが子の命のように思って惜しむ母親の心を肯定させようとしている。

人商人=児女を売買する者。
磯部寺=茨城県西茨城郡東那珂村にある磯部神社の神宮寺。今は無い。

小謡
(上歌)『ひとり伏屋乃草の戸乃。ひとり伏屋乃草の戸乃。明し暮して憂き時も子を見ればこそ慰むに。さりとてハ我が頼む。神もこの木華開耶姫の。御氏子なるものを櫻子留めて賜び給へ。っさなきだに住みうかれたる故郷の。今ハ何にか明暮を。堪へて住むべき身ならねば。我が子の行方尋ねんと。泣く泣く迷ひ出でゝ行く泣く泣く迷ひ出でゝ行く』

小謡
(上歌)『花鳥の。別れつゝ親と子乃。別れつゝ親と子乃。行方の知らで天離る。鄙の長路に衰へば。たとひ逢ふとも親と子の面忘れせば如何ならん。うたてや暫しこそ。冬篭りして見えずとも。今ハ春べなるものを我が子の花ハなど咲かぬ我が子の花ハなど咲かぬ』

小謡
(上歌)『常よりも。春べになれば櫻川。春べになれば櫻川。波の花こそ。間なく寄すらめと詠みたれば花乃雪も貫之も古き名のみ残る世の。櫻川。瀬々の白波しげければ。霞を流す。信太の浮島乃浮かめ浮かめ水の花げに面白き川瀬かなげに面白き川瀬かな』

(役別) 前シテ 母、 後シテ 狂女、 子方 櫻子、 ワキ 磯部寺住僧、
     ワキツレ 従僧(二〜三人)、 ワキツレ 里人、 ワキツレ 人商人
(所要時間) 五十五分