【さ】
053 實盛(さねもり)
南無阿弥陀仏 ワキ『南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏』 シテ『極楽世界に往きぬれば。永く苦海を越え過ぎて。輪廻の故郷隔たりぬ。歓喜の心いくばくぞや。所ハ不退の所。命ハ無量寿仏となう。頼もしや』 |
(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 二番目 修羅物
(季節) 十一月
(稽古順) 準九番習
(所)加賀国江沼郡篠原村笹原新
(物語・曲趣) 遊行上人が加賀国の篠原で説法をしていると、毎日これを聴聞に来る老翁がいるので、ある日、上人がその名前を聞くと、「つまらない鄙人である」と言って名乗らなかった。
しかし、上人が「懺悔のためだから」と促すと、老翁は余人を遠避けてもらった後、「実は私は斎藤實盛の幽霊である」と打ち明け、「私が加賀の篠原の合戦で木曾義仲と戦って敗れてから弐百年余を経ているが、執心がこの地に残って成仏できずにいるのである」と語る。
そして、「どうか實盛の名を他にもらしてくださるな」と頼んだ後、傍らの池の辺りに行くと見えて消え失せた。
上人が夜もすがら回向をしていると、甲冑姿の實盛が現れて念仏往生の教えを受けたことを喜ぶ。
そして「懺悔の物語をしましょう」と昔の篠原の合戦で、手塚光盛に討たれた時のことを詳しく物語るのである。
老武者である実盛が、錦の直垂を着て、鬢ひげを黒く染めて奮闘し、遂に討ち死にしたという悲壮な物語を構想の中心にした曲である。
その幽霊が実盛であることを知られまいとする前半の趣向は、老武者であるのを隠して奮闘したことから思いついたものであろう。
また、本曲は長く妄執に悩まされた實盛の魂魄が、一念弥陀佛即滅無量罪のありがたい御法を受けて、回向発願心の機縁を得た報いとしての懺悔物語であると語られている。
鄙人=ひなびと。田舎人。
斎藤實盛=平家の侍、斎藤別当実盛。宗盛の部下であった。寿永二年、維盛に属して北国に下り木曾義仲と戦って敗戦した。
手塚光盛=信濃諏訪の者で、木曾義仲の臣。
一念弥陀佛即滅無量罪=往生本縁経の語。ひとたび弥陀仏を念ずれば、無量の罪も即時に滅するとの意。
錦の袂を會稽山に 地『分けつゝ行けば錦著て。家に帰ると。人や見るらんと詠みしもこの本文の心なり。さればいにしへの。朱買臣ハ。錦の袂を會稽山に翻し。今の実盛ハ名を北国の巷に揚げ。隠れなかりし弓取乃。名ハ末代に有明乃。月の夜すがら懺悔物語申さん』 |
■小謡 (上歌)『暗からぬ。夜の錦乃直垂に。夜の錦の直垂に。萌黄匂の鎧著て。黄金作の太刀刀。今乃身にてハ。それとても。何か宝の。池の蓮の台こそ宝なるべけれ。げにや疑はぬ。法の教へハ朽ちもせぬ。黄金の言葉多くせば。などかハ到らざるべきなどかハ到らざるべき』 ■小謡 (上歌)『気はれてハ。風新柳の髪を梳り。氷消えてハ。波旧苔の。髭を洗ひて見れば。墨ハ流れ落ちて元の。白髪となりにけり。げに名を惜しむ弓取ハ。誰を斯くこそあるべけれや。あら優しやとて皆感涙をぞ流しける』 |