【し】
054 七騎落(しちきおち)


覚えず抱きつき
シテ『その時実平呆れつヽ』
地『夢か現かこハ如何にとて。覚えず抱きつき泣き居たり。たとへば。仙家に入りし身の半日の程に立ち帰り。七世の孫に逢ふ事乃喩へも今に知られたり喩へも今に知られたり』

(作者) 作者不明。ただし自家伝抄には世阿弥作とある。
(曲柄) 四・五番目 (略二番目)
(季節) 八月
(稽古順) 一級
(所) 前、相模国眞鶴崎
    後、相模海上
(物語・曲趣) 石橋山の合戦に敗れた源頼朝が、船で房総の方に落ちようとした時に、主従八騎の同勢であったので、土肥實平に対して「八騎というのは昔から源氏にとって不吉であるから、一人だけ下船させよ」と命ずる。

實平はその一人を選び出すのに困り、結局、父子二人であったためにわが子遠平を下船させねばならぬことになる。

かくして、船は出たが、大勢の敵が汀の方に寄せて来るのが見えたので、實平は汀に残した遠平を気遣いながら別れた。

しばらくして、これまで敵方であった和田義盛が頼朝の後を慕って来て頼朝に対面する。そして、船底から遠平を出して危なかった遠平を助けた次第を語ったので、一同は喜びの酒宴を開く。実平は勧められて舞を舞う。

武士の節義を強調するのが目的であって、その手段として親子の愛情を使っている。

石橋山=相模国足柄下郡石橋村にある。治承四年八月、頼朝が大庭景親や股野景久等に敗れたところ。
土肥實平=宗平の子で、相模国土肥の庄の人。
和田義盛=三浦義宗の子。

小謡
(地)『この人ヾは君乃為。この人ヾは君乃為。龍門原上の土に屍をば曝すとも。惜しかるまじき命かな。何れを選み出さんと。さしもの実平思ひかね。赤面したるばかりなり赤面したるばかりなり』

■小謡
(地)『かの松浦佐用姫が。かの松浦佐用姫が。唐土船を慕ひ侘びて。なぎさにひれ伏しゝ有様も。今遠平が親と子の。別れに変らじと。みな涙ぞ流しける』

■小謡
(地)『たとへば。仙家に入りし身の半日の程に立ち帰り。七世の孫に逢ふ事乃喩へも今に知られたり喩へも今に知られたり』

(役別) シテ 土肥実平、 ツレ 源頼朝、 ツレ 新開次郎、土屋三郎、田代信綱、 ツレ 土佐坊、 ツレ 岡崎義実、 子方 土肥遠平、 ワキ 和田義盛
(所要時間) 四十分