【し】
055 自然居士(じねんこじ)


もとの小袖は
シテ『これハ自然居士と申す説教者にて候が。説法の場さまされ申す。恨み申しに来りたり』
ワキ『説法にハ道理を演べ給ふ。我等に僻事なきものを』
シテ『御僻事とも申さばこそとにかくに。元の小袖ハ参らする。舟に離れて叶はじと。裳裾を波に浸しつゝ。舷に取り付き引きとゞむ』

(作者) 観阿弥清次
(曲柄) 四・五番目 (略二番目)
(季節) 不定
(稽古順) 二級
(所) 前、山城国洛東雲居寺
    後、近江国大津浜
(物語・曲趣) 自然居士と呼ばれる喝食が、京都東山雲居寺造営のための説法をしていると、ひとりの少女が来て、父母追善供養の布施のために人商人にわが身を売って得た小袖に諷誦文を添えて捧げた。

喝食がそれを読み上げ、聴衆とともに袖を濡らしていると、そこへ東国の人商人が来て「自分が買い取ったのだから」と言って、少女を引き連れて行く。

それを知った居士は直ちに説法を中止して後を追い、大津松本からすでに船を漕い出していた人商人を呼び止め、裳裾を波に浸しながら船に乗り移り、船中にいる少女を返してくれと頼む。

人商人は居士を嚇して下船させようとしたが、居士が少しも動じないのでなぶった上で返してやろうと思い、曲舞・羯鼓などを所望すると、居士はいやいやながら望まれるままに謡い舞い、ついに少女を取り戻して帰るのである。

半僧半俗の喝食に遊芸を演じさせるのが主目的であって、その遊芸を演ずる理由として人買い事件を構想したのである。

その遊興の見せ方がはなはだ劇的であり、これがこの曲の構成上の特色となっている。

自然居士と呼ばれる喝食の青年が雲居寺造営寄進の札を売る説法をしている時に、両親の追善寄進の布施に代えて、わが身を売った少女を人買いの手から取り返すために、侮辱を忍んで様々な遊芸をする。

その遊狂の見せ方が、はなはだ劇的であるのがこの曲の構成上の特色となっている。

喝食=本来は禅家の職名で、大衆斎粥の時に食堂の一面に立って就食を喝する少年を指す。能の喝食は、半僧半俗の青年でまだ前髪を保留し、年令は弱冠を出ていない。
雲居寺=京都市東山の高台寺にある仏殿方丈の地が、その旧跡であるという。
諷誦文=ふじゅぶん。死者追善のために施し物を添えて僧に諷誦を請う文をいう。
=ささら。田楽の楽器で、拍節用の物。
羯鼓=かっこ。腰につけて打つ八撥を指す。


はらはらはらと
地『もとより鼓ハ波の音。寄せてハ岸を。どうとハ打ち。雨雲まよふ鳴神乃。どどろとどろと鳴る時ハ。降り来る雨ハはらはらはらと。小笹乃竹の。簓を擦り。池の氷乃とうとうと。鼓をまた打ち簓をなほ擦り。狂言ながらも法の道。今ハ菩提の。岸に寄せ来る。船の中よりでいとうと打ち連れて。共に都に上りけり共に都に上りけり』

小謡
(上歌)『蓑代衣うらめしき。蓑代衣うらめしき。浮世の中を疾く出でゝ。先考先妣諸共に。おなじ台に生まれんと読み上げ給ふ自然居士墨染の袖を濡らせば。数の聴衆も色々の袖を濡らさぬ。人ハなし袖を濡らさぬ人ハなし』

(役別) シテ 自然居士、 子方 女児、 ワキ 人商人、 ワキツレ 人商人同輩
(所要時間) 四十五分