【し】
059 猩々(しょおじょお)


月星は隈もなき
(シテ)『理や白菊の』
(地)『理や白菊の。著せ綿を温めて酒をいざや酌まうよ』
(シテ)『客人も御覧ずらん』
(地)『月星ハ隈もなき』
(シテ)『所ハ瀋陽の』
(地)『江乃うちの酒盛』
(シテ)『猩々舞を舞はうよ』
(地)『蘆の葉乃笛を吹き。波の鼓どうと打ち』
(シテ)『こゑ澄みわたる浦風の』
(地)『秋乃調めや。残るらん』

(作者) 作者不明。ただし、二百十番謳目録及び自家伝抄には世阿弥作とある。
(曲柄) 五番目
(季節) 九月
(稽古順) 五級
(所) 支那江西省潯陽道九江、揚子江
(物語・曲趣) 唐士かね金山の麓揚子の里に住む高風は親孝行であったが、ある夜の霊夢に任せ、揚子の里で酒を売り、次第に冨貴の身となった。

ところが、不思議なことに市ごとに酒を飲みにくる者がいて、いくら飲んでも平気なのでその名を尋ねると、「私は海中に住む猩々だ」と答えて立ち去った。

そこで、高風は酒を用意し、潯陽の江の辺りに出て待っていると、やがて猩々が現れ、酒を飲み、舞を舞い、また高風の醇な心を誉めて、永久に汲んでも尽きない酒壷を与えるのである。

本曲の目的は、もちろん、酒の礼讃であるがその酒は不老長寿の薬、すなわち「菊慈童」の菊の水と同性質のもので、猩々は慈童に相当するわけである。

また、心の醇なものに対し酒による幸福が与えられるという構想は、酒のめでたさを強調する手段にもなっている。

形の上から見れば、切り能の中でも最も簡単な小品であり、分量の点だけでいえば、全ての謡曲の中での最短編である。しかし、この曲の本来の情趣を謡いこなすとなると、決して平易なことではない。

かね金山=江蘇省揚子江の沿岸の金山と称する山。径山を「こみちきんざん」というように、音訓両読にしたもの。
高風=支那の出典は不明である。
猩々=人面獣身。良く言語を発し、酒を好む。海中に棲むといったのは謡曲作者の想像によるもの。
潯陽の江=揚子江の潯水と合流する付近。白楽天の琵琶行によって有名な土地である。
菊の水=周の穆王から寵愛を受けた慈童が山中に捨てられた時、法華の妙文を菊の葉に書き付けたところ、その菊の露の滴りが霊酒となった。これを飲んだ慈童は七百歳の齢を重ねたという故事からして、不老の霊酒の意となっている。

小謡
(地)『老いせぬや。老いせぬや。薬の名をも菊の水。盃も浮かみ出でヽ友に逢ふぞ嬉しきこの友に逢ふぞ嬉しき』
(シテ)『神酒と聞く』
(地)『神酒と聞く。名もことわりや秋風乃』
(シテ)『吹けども吹けども』
(地)『更に身にハ寒からじ』
(シテ)『理や白菊の』
(地)『理や白菊の。著せ綿を温めて酒をいざや酌まうよ』
(シテ)『客人も御覧ずらん』
(地)『月星ハ隈もなき』
(シテ)『所ハ瀋陽の』
(地)『江乃うちの酒盛』
(シテ)『猩々舞を舞はうよ』
(地)『蘆の葉乃笛を吹き。波の鼓どうと打ち』
(シテ)『こゑ澄みわたる浦風の』
(地)『秋乃調めや。残るらん』

仕舞
(地)『よも尽きじ。萬代までの竹の葉の酒。酌めども尽きず。飲めども変わらぬ秋の夜の盃。影も傾く入江に枯れ立つ。足もとはよろよろと。酔ひに臥したる枕乃夢乃。覚むると思へば泉ハそのまヽ。尽きせぬ宿こそ。めでたけれ』

(役別) シテ 猩々、 ワキ 高風
(所要時間) 十分