【し】
060 正尊(しょおぞん)


静 中之舞
地『折節御前に。礒の禅師が女に。靜と云へる白拍子。今様を謡ひつゝ。お酌に立ちて花鬘。かゝる姿ぞ類ひなき。 舞の袖』
子方『君が代ハ。千代に一度。ゐるちりの』
地『白雲かゝる山となるまで。山となるまで山となるまで』
子方『変わらぬ契りを。頼む仲の』
地『変わらぬ契りを頼む仲乃。隔てぬ心ハ神ぞ知るらん。よくよく申せと静に諌められ。土佐坊御前を罷り帰れば。君も御寝所に。入らせ給はばおのおの退出申しけり』

(作者) 観世弥次郎長俊
(曲柄) 四・五番目 (略二番目)
(季節) 九月
(稽古順) 三級(但シ起請文ハ重習)
(所) 京都市堀川東・油小路西楊梅辺
(物語・曲趣) 源義経は梶原の讒言で兄の頼朝と不和になったが、その頃、土佐坊正尊が鎌倉から都へ上がって来た。自分を狙い討つための上洛と思った義経は、弁慶を正尊の旅宿に遣った。

正尊は熊野参詣のための上洛であると嘘を言ったが、なお問い詰められての苦し紛れに起請文を書いて読み上げ、偽りでないことを誓った。

義経はもちろんそれを信じなかったが、ともかく盃を与え、静御前に舞わせるなどした上で帰してやった。


その後で、弁慶が正尊の旅宿の様子を探らせると、果たして夜討ちの用意をしていたので、そのことを主君に告げた。

主従は武装してこれを待ち受けていると、やがて正尊が郎党を従えて押し寄せて来た。

しかし、弁慶等の奮戦で破られ、正尊は弁慶に生け捕られるのである。

堀河夜討の史実を劇的に構想したもので、正尊が義経や弁慶の前でしらばっくれる不敵さを前段のヤマにして、その不敵さを表す方法として起請文の読み上げを利用している。

梶原=頼朝の臣、梶原平三景時。
土佐坊正尊=吾妻鏡や平家物語には土佐坊昌俊と記されている。
弁慶=義経記に、義経の郎等の中で随一の勇者であると記されているが、詳しいことは不明である。熊野別当の子で叡山で修行したという。
熊野参詣=紀伊国の熊野三所権現に参詣することをいう。
起請文=神仏に誓って書く誓紙。


カケリの中
地『長刀やがて取り直し。長刀やがて取り直し。無慙や汝。手にかけんと。込む長刀を打ち払ひ。受け流せばまた取り直し。ちやうと打てば。はつたと合わせ。重ねて打つに打ち込まれて。何かハたまらん幹竹割りに二つになってぞ失せにける。』

小謡
(上歌)『否にハあらず稲舟の。否にハあらず稲舟の。上れば下る事もいさ。あらまし事も徒に。なるともよしや露の身乃。消えて名のみを。残さばや消えて名のみを残さばや』

◎起請文
シテ『敬って白す起請文の事。上ハ梵天帝釈。四大天王閻魔法王五道の冥官泰山府君。下界の地にハ。伊勢。天照大神を始め奉り伊豆箱根。富士浅間。熊野三所。金峯山。王城の鎮守。稲荷祇園賀茂貴船。八幡三所。松の尾平野。総じて日本国の。大小乃神祇冥満ち請じ。驚かし。奉る。殊にハ氏の神。全く正尊討手に罷り上る事もなし。この事偽りこれあらば。この誓言の御罰を當り。来世ハ阿鼻に。堕罪せられんものなり依って。起請文かくの如し。文治元年九月日正尊と。読み上げたり』

(役別) 前シテ 土佐坊正尊、 後シテ 前同人、 ツレ 源義経、 子方 静御前、 ツレ 江田源三熊井太郎、 後ツレ 姉和光景、 
後ツレ 正尊ノ郎党等(多勢)、 ワキ 武蔵坊弁慶
(所要時間) 三十五分