【す】
062 隅田川(すみだがわ)


思へば限りなく
上歌『我もまた。いざ言問はん都鳥。いざ言問はん都鳥。我が思ひ子ハ東路に。ありやなしやと。問へども問へども答へぬハうたて都鳥。鄙の鳥とや言ひてまし。げにや舟競ふ。堀江の川乃水際に。来居つゝ鳴くハ都鳥。それハ難波江これハまた隅田川乃東まで。思へば限りなく。遠くも来ぬるものかな。さりとてハ渡守舟。こぞりてせばくとも。乗せさせ給へ渡守さりとてハ乗せて賜び給へ』

(作者) 観世十郎元雅。ただし、能本作者註文・歌謡作者考・異本謳曲作者・自家伝抄は世阿弥の作としている。
(曲柄) 四番目(略三番目)
(季節) 三月
(稽古順) 九番習
(所) 東京市向島区墨田町
(物語・曲趣) 武蔵野国の隅田川の川岸で大念仏が行われるので、渡守が乗船の客人を待っている。するとひとりの狂女が来て乗船を頼む。

渡守は女に対して、「狂って見せたら、乗せてやろう」と言うと、狂女は伊勢物語の文句を引いてたしなめていたが、ついに女は発作的に狂った。渡守はそれに憐れを感じて乗船させてやり、対岸へと漕ぎ出した。その途中で、渡守が今日の大念仏の仔細を物語ると、回向を受けるその子供が我が子であることを知った狂女は、船中に泣き伏してしまう。

そこで、渡守は船を岸に着けた後、この母を墓所に伴って回向を勧める。母も気を取り直して大念仏を唱えていると、その子である梅若丸の亡霊が現れたが、夜が明けるとともに消え失せて行った。

別れた子供を慕って狂乱する能では、最後に捜し求める子供にめぐり合って喜ぶのが原則であるが、この曲の女主人公は永久に子供にめぐり逢えない運命のもとに置かれている。その点で、この曲は狂女物の中でも最も特殊な曲であるといえる。

大念仏=多数の者が集まって大声で念仏を唱える仏事。

小謡
(上歌)『残りても。かひあるべきハ空しくて。かひあるべきハ空しくて。あるハかひなき帚木の。見えつ隠れつ面影乃。定めなき世乃習ひ。人間愁ひの花盛り。無常の嵐音添ひ。生死長夜の月乃影不定の。雲覆へりげに目の前乃浮世かなげに目の前乃浮世かな』


(役別) シテ 狂女、 子方 梅若丸、 ワキ 渡守、 ワキツレ 旅人
(所要時間) 六十三分