【そ】
069 卒塔婆小町(そとわこまち)


漕ぎ行く人は誰やらん
(上歌)『月諸共に出でゝ行く。月諸共に出でゝ行く。雲居百敷や。大内山乃山守も。かゝる憂き身ハよも咎めじ。木隠れて由なや。鳥羽乃恋塚秋の山。月の桂乃川瀬舟。漕ぎ行く人ハ。誰やらん漕ぎ行く人ハ誰やらん』

(作者) 観阿弥清次。ただし現行曲は世阿弥の改作と見られる。
(曲柄) 四番目(略二番目) 老女物
(季節) 九月
(稽古順) 重習 中傳
(所) 山城国紀伊郡鳥羽
(物語・曲趣) 高野山の僧が京都の近くまで来て一休みしていると、乞食の老女が来て朽ち果てた卒塔婆に腰をおろした。

僧はそれを咎めようとすると、老女は反問して、姿に似合わないような仏道の知識を示した。僧は驚いて老女に敬意を表すと、老女は教化を茶化した戯れの歌を詠んだりする。

そこで、僧がこの老女の名を尋ねると、老女は「小野小町のなれの果てなのです」と答えた。僧は、小町の変わった落胆の姿を憐れみ、また小町も今の境遇を嘆く。

小町は「物乞うて貰えない時には狂乱の心がつくのです」と言い、そう言うや否やたちまち狂乱の姿となる。

そして、深草少将九十九夜通った時の事を狂って見せたりしたが、少将の怨念が去ると、狂いから醒めて悟りの道に入ろうとするのである。

才媛であり美人であった事が小町を驕慢な女とし、深草少将の熱情を弄んで恋に死なしめ、その報いとして老いて乞食となる。そして結果的に、小町は百歳になる今まで苦しみを体験しなければならず、少将の怨念に苦しめられるというのがこの曲の主題である。

深草少将=仮作の伝説的な人物。
九十九夜=「通小町」の題材となった百夜通いの話はあまりにも有名である。


一夜二夜三夜四夜
地『行きてハ帰り。帰りてハ行き一夜二夜三夜四夜。七夜八夜九夜。豊の明の節会にも。逢はでぞ通ふ鶏乃。時をも変へず暁の。榻乃はしがき百夜までと通ひ往て九十九夜になりたり』

小謡
(上歌)『月諸共に出でゝ行く。月諸共に出でゝ行く。雲居百敷や。大内山乃山守も。かゝる憂き身ハよも咎めじ。木隠れて由なや。鳥羽乃恋塚秋の山。月の桂乃川瀬舟。漕ぎ行く人ハ。誰やらん漕ぎ行く人ハ誰やらん』

小謡
(上歌)『頭にハ。霜蓬を戴き。嬋娟たりし両鬢も。膚に悴けて墨乱れ宛転たりし隻蛾も遠山の色を失ふ。百歳に一歳足らぬ九十九髪。思ひハ有明の影恥ずかしき我が身かな』

(役別) シテ 小野小町、 ワキ 高野山僧、 ワキツレ 従僧

(所要時間) 五十七分