【た】
076 田村(たむら)


天も花に酔へりや
シテ『たゞ頼め。標茅が原のさしも草』
地『我世乃中に。あらん限りハの御誓願。濁らじものを清水乃。緑もさすや青柳の。げにも枯れたる木なりとも。花櫻木のよそほひ何処乃春もおし並めて。のどけき影ハ有明の。天も花に酔へりや。面白乃春べやあら面白の春べや』

(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 二番目 勝修羅
(季節) 三月
(稽古順) 五級
(所) 京都洛東清水寺
(物語・曲趣) 東国の僧が京に上り、清水寺に参詣する。ときは弥生半ばで地主の桜が花盛りであったので、僧がそれを眺めていると、箒を持った童子が現れて来て櫻の木陰を掃き清める。

そこで、僧がこの童子に当寺の来歴を訪ねると、「昔、賢心坂上田村麿檀那と頼んで建立した当時の縁起」を語り、なお、京の名所名所を問われるままに教えた。

そのうち、日が暮れ月が出て桜の花に映ずると、「これの方が名所に勝る眺めではないか」と僧と共に春宵一刻値千金の風情を楽しみ、また清水の観音の利益をたたえる。

その様子が常人とも思われないので、名を尋ねると、「それが知りたければ帰る方を見ていてください」と言い捨てて田村堂の内陣に入った。

僧が夜もすがら法華経を読誦していると、坂上田村麿が現れて、観音の擁護で鈴鹿山の悪魔を平らげた時の様子を語る。

清水の観音という流行仏を中心とした同寺の縁起や、その利益による田村麿の戦勝の様子のほかに境内の桜を取り入れて、花に月の映ずる春宵の風情をも狙っている。

坂上田村磨は観世音を信じ、その功力で武勲を立て、報恩のために清水寺を建立した。したがって、この曲は一面から見ると清水寺縁起譚でもある。

清水寺=京都市東山区にある名刹。
賢心=報恩の弟子、後に延鎮という。
坂上田村麿=坂上刈田磨の子。征夷大将軍として功労の多かった武将。
檀那=だんな。梵語で施主の意。三寶のために資材を奉施する者。
春宵一刻値千金=蘇東坡の春夜の詩を引く。
田村堂=田村麿のほか、行叡や延鎮をも祀った堂宇である。


一度放せば千の矢先
シテ『あれを見よ不思議やな』
地『あれを見よ不思議やな。味方の軍兵の旗の上に。千手観音の。光を放って虚空に飛行し千の御手毎に。大悲乃弓にハ。智慧の矢をはげて。一度放せば千の矢先。雨霰と降りかゝって。鬼神の上に。乱れ落つれば。ことごとく矢先にかゝって鬼神ハ残らず討たれにけり。ありがたしありがたしや實に呪詛。諸毒薬念彼。観音乃力を合はせて即ち還著於本人即ち還著於本人乃。敵ハ亡びにけりこれ。観音乃佛力なり』

小謡
(上歌)『白妙に。雲も霞も埋れて。雲も霞も埋れて。何れ櫻の梢ぞて。見渡せば八重一重げに九重乃春の空。四方の山並自づから。時ぞと見ゆる景色かなる時ぞと見ゆる景色かなる』

小謡
(上歌)『今もその。名に流れたる清水の。名に流れたる清水の。深き誓ひも数々に。千手乃。御手乃とりどり様々乃誓ひ普くて。国土万民を漏らさじの。大悲乃影ぞありがたき。げにや安楽世界より。今この娑婆に示現して。我等が為の観世音仰ぐも疎かなるべしや仰ぐも疎かなるべしや』

(下歌)『あらあらおもしろの地主の花の景色やな。桜の木の間に洩る月の雪も降る夜嵐の。誘ふ花とつれて散るや心なるらん。さぞな名にし負ふ。花の都の春の空。げに時めくるよそほひ青陽の影緑にて。風長閑なる。音羽の瀧の白糸の。繰り返し返しても面白やありがたやな。地主権現の花の色も殊なり』

(役別) 前シテ 童子、 後シテ 坂上田村麿、 ワキ 旅僧、 ワキツレ 従僧(二人)
(所要時間) 四十分