【つ】
080 経正(つねまさ)
我ハ人を見るものを 地『幻乃。常なき身とて経正の。常なき身とて経正の。もとの浮世に帰り来て。それとハ名のれどもその主乃。形ハ見えぬ妄執の。生をこそ隔つれども我ハ人を見るものを。げにや呉竹乃。筧の水ハかはるとも。住みあかざりし宮の中。幻に参りたり夢幻に参りたり』 |
(作者) 諸書いずれも世阿弥作としているが、自家伝抄のみは「但異作」と註記している。
(曲柄) 二番目
(季節) 九月
(稽古順) 五級
(所) 京都洛西御室仁和寺
(物語・曲趣) 平経正の討死を憐れに思われた仁和寺の宮は、経正が生前に手馴れていた琵琶を仏前に供えて、管弦講を催してその霊を弔うよう命じた。命を受けた僧都行慶は人々を集めて法事を行った。
その夜更けになって、経正の幽霊が現れて行慶と言葉を交わしたので、行慶は経正に糸竹の手向をすすめる。すると、経正も琵琶を取って自らこれを弾いて楽しんでいた。
やがて、時が経て経正はその苦患の有様を示して、「こんな姿を見られるのも恥ずかしい」と言いながら燈火を消し、闇の中に消え失せるのである。
平家の公達が琵琶を弾くところを中心としたものであるが、その公達を幽霊としそれが管弦の手向に引かれて現れるという構想になっている。したがって、幽霊らしい感じを出そうとした工夫が随所に見える。
平経正=平経盛の嫡子。一の谷で戦死を遂げた。
仁和寺=京都市右京区御室にある名刹。
管弦講=管弦音楽を以って仏事を営むこと。ここは経正の法事を行うのである。
僧都行慶=葉室大納言光頼の子。
糸竹の手向=管弦講の仏事法要。
俄かに降り来る雨の音 ワキ『時しも頃ハ夜半楽。眠りを覚ます折節に』 シテ『不思議や晴れたる空かき曇り。俄かに降り来る雨の音』 ワキ『頻りに草木を払ひつゝ。時の調子も如何ならん』 |
■小謡 (上歌)『殊に又。かの青山と云ふ琵琶を。かの青山と云ふ琵琶を。亡者乃為に手向けつゝ。同じく糸竹の声も佛事を為し添へて。日々夜々の法乃門貴賎の道もあまねしや貴賎の道もあまねしや』 ■小謡 (上歌)『幻乃。常なき身とて経正の。常なき身とて経正の。もとの浮世に帰り来て。それとハ名のれどもその主乃。形ハ見えぬ妄執の。生をこそ隔つれども我ハ人を見るものを。げにや呉竹乃。筧の水ハかはるとも。住みあかざりし宮の中。幻に参りたり夢幻に参りたり』 ■小謡 (上歌)『さればかの経正ハ。さればかの経正ハ。未だ若年の昔より。外にハ仁義禮知信の。五常を守りつゝ。内にハ又花鳥風月。詩歌管弦を専らとし。春秋を松蔭の草乃露水のあはれ世乃心に洩るゝ花もなし心に洩るゝ花もなし』 |