【て】
082 定家(ていか)


石に残す形をだに
地『この上ハ。我こそ式子内親王。これまで見え来れども。真の姿ハ陽炎の石に残す形だに。それとも見えず蔦葛苦しみを済け給へと言ふかと見えて失せにけり。言ふかと見えて失せにけり』

(作者) 享保六年観世大夫書上及び二百十番謳目録には世阿弥作とあるが、その他の諸書は禅竹の作としている。尤も自家伝抄だけには「但異作」と註記が加えられているから、禅竹作の「定家」は本曲とは別のものであろう。
(曲柄) 三番目 鬘物
(季節) 十一月
(稽古順) 九番習
(所) 京都上京区今出川千本東入般舟院前町
(物語・曲趣) 都に上った北国の僧が都千本の辺りで時雨にあったので、傍らの亭で雨をよけていると、ひとりの女が来て「この亭の由緒を知って立ち寄られたのか」と言葉をかける。女はさらに「これは藤原定家卿の時雨の亭であって、卿が時雨の歌を詠まれたところである」と教える。

その後で、女は僧を式子内親王のお墓に連れて行き、「定家とひそかに深い契りを結んでおられた内親王が亡くなられてから、定家の執心が葛になって内親王のお墓に這い纏った」という話をして僧の回向を乞うていたが、「実は自分がその内親王である」と言って消えうせた。

その夜、僧が法華経の薬草喩品を読誦していると、内親王の霊が現れて妙典の功力で成仏できたことを喜び、報恩のためにと舞を舞われたが、その後、定家葛が這い纏った御墓に埋もれてしまわれるのである。

鬘物の中でも最も品位を必要とする優艶哀切の曲のひとつである。女主人公である高貴な婦人の恋は深刻なものであり、婦人が早く世を去ると、生き残った定家の執心は蔦葛となってその墓に這い纏ったほどである。しかし、執拗な愛着も美しい幽玄の情緒に包まれて、却って哀切な
情感の方が目立っている。

時雨には初冬の陰湿さが感じられるが、本曲はこの季感を人事に結び付けて陰惨な恋物語を構成したものである。

都千本=京都市上京区千本通今出川の辺り。昔の千本松原の地。
藤原定家=俊成の子。新古今集および新勅撰集の撰者で有名な歌人。
時雨の亭=千本今出川の東北に定家の辻子と称するところがあり、そこに時雨亭があったとされているが、現在は不明。
式子内親王=後白河天皇の第三皇女で平治元年賀茂の斎院となられ、のちに剃髪されて萱斎院といわれた。
妙典=法華経を指す。


これ見給へや御僧
シテ『花も紅葉も散りヾに』
地『朝の雲』
シテ『夕べの雨と』
地『故事も今の身も。夢も現も。幻も。共に無情乃世となりて跡も残らず。何なかなか乃草の蔭。さらば葎の宿ならで。外ハつれなき定家葛。これ見給へや御僧』

小謡
(上歌)『今降るも。宿ハ昔の時雨にて。宿ハ昔の時雨にて。心すみにしその人乃。あはれを知るも夢の世乃。げに定めなや定家の。軒端の夕時雨。古きに帰る涙かな。庭も籬もそれとなく。荒れのみまさる草叢の。露乃宿りもかれがれに物すごき夕べなりけり物すごき夕べなりけり』

(役別) 前シテ 里女、 後シテ 式子内親王、 ワキ 旅僧、 ワキツレ 従僧(二人)
(所要時間) 六十二分