【て】
083 天鼓(てんこ)


心耳を澄ます声出でて
シテ『玉乃床に』
地『老の歩みも危きこの鼓。打てば不思議やその声乃。心耳を澄ます声出でゝ。げにも親子乃證の声。君も哀れと思し召して。龍顔に御涙を。浮かめ給ふぞありがたき』

(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 四番目
(季節) 七月
(稽古順) 三級
(所) 唐土
(物語・曲趣) 支那後漢の世に、天から降ってきた不思議な鼓を持っている天鼓という者がいた。

勅命によって帝がそれを召し上げることになり、少年(天鼓)はそれを惜しんで渡そうとせず、山中に隠れた。しかし、終いに探し出されて少年は呂水に投げ込まれ、鼓は宮廷に運ばれた。

その後、内裏で天鼓の鼓を打たせられるが、少しも鳴らないので不思議に思われて、勅使をやって天鼓の父である王伯に鼓を打てと命ぜられる。

そこで王伯が我が子を追慕しながら鼓を打つと、妙音を発した。帝は王伯に数多くの宝を与えて帰らせ、天鼓に対しては管弦講を以って弔わせることになった。

やがて王伯は呂水の堤に行幸されて天鼓の跡を弔わせられると、天鼓の霊が現れてそれを喜び、鼓を打って楽を奏した後、再び消え失せるのである。

名楽器の神秘ということを主題にしたもので、親子の愛情を神秘の現れる原因としている。

前場においては老翁の悲嘆するところが主調となっており悲痛であるが、それは鼓が音を出したことで救われ、後場ではその救われた気持ちが少年の勇躍の心情によって一層強められ、いとも朗らかな情緒にまで高められる。この二つの情緒の展開がこの曲では大事なものとなっている。

管弦講=管弦を以って弔う法事。


呂水の波は滔々と
地『打ち鳴らすその声の。打ち鳴らすその声乃。呂水の。波ハ滔々と。打つなり打つなり汀の声乃。寄り引く糸竹の手向乃舞楽ハありがたや』
シテ『面白や時もげに』
地『面白や時もげに。秋風楽なれや松の声。柳葉を払って月も涼しく星も相逢ふ空なれや。烏鵲の橋乃もとに。紅葉を敷き。二星の。館乃前に風。冷やかに夜も更けて。夜半楽にもはやなりぬ。人間の水ハ南。星ハ北に拱く乃。天の海面雲の波立ち添ふや。呂水の堤の月に嘯き水に戯れ波を穿ち。袖を返すや。夜遊の舞楽も時去りて。五更の一点鐘も鳴り。鶏ハ八声のほのぼのと。夜も明け白む。時の鼓。数ハ六つの巷乃声に。また打ち寄りて現か夢か。また打ち寄りて現か夢幻とこそ。なりにけれ』

小謡
(上歌)『よしさらば。思ひ出じと思ひ寝の。思ひ出じと思ひ寝の。闇乃現に生まれ来て。忘れんと思ふ心こそ忘れぬよりハ思ひなれ。たゞ何故の憂き身の命こそ恨みなれ』

◎獨吟
シテ『げにや世々毎の仮の親子に生まれ来て』
地『愛別離苦の思ひ深く。恨むまじき人を恨み。悲しむまじき身を嘆きて。われと心乃闇深く。輪廻の波に漂ふ事生ヾ世々も何時までの』
シテ『思ひのきづな。長き世の』
地『苦しみ乃海に。沈むとかや』

◎獨吟
シテ『面白や時もげに』
地『面白や時もげに。秋風楽なれや松の声。柳葉を払って月も涼しき星も相逢ふ空なれや。烏じゃくの橋乃もとに。紅葉を敷き。二星の。館乃前に風。冷やかに夜も更けて。夜半楽にもはやなりぬ。人間の水ハ南。星ハ北に拱く乃。天の海面雲の波立ち添ふや。呂水の堤の月囀き水に戯れ波を穿ち。袖を返すや。夜遊の舞楽も時去りて。五更の一点鐘も鳴り。鶏ハ八声のほのぼのと。夜も明け白む。時の鼓。数ハ六つの巷乃声に。また打ち寄りて現か夢か。また打ち寄りて現か夢幻とこそ。なりにけれ』

(役別) 前シテ 王伯、 後シテ 天鼓、 ワキ 勅使
(所要時間) 四十五分