【と】
087 融(とおる)
シテ 一セイ 『月もはや。出汐になりて塩窯の。浦さび渡る。気色かな』 サシ『陸奥ハ何処ハあれど塩窯の。うらみて渡る老が身の。寄辺もいさや定めなき。心も澄める水乃面に。照る月なみを数ふれば。今宵ぞ秋の最中なる。げにや移せば塩窯乃。月も都の。最中かな』 |
(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 五番目
(季節) 八月
(稽古順) 三級
(所) 京都市下京区六条河原院
(物語・曲趣) 東国の僧が都に上がって六條河原院で休んでいると、田子を担った老人が来たので、「この辺りの人か」と訊ねる。すると、老人は「この所の汐汲みです」と答えた。
僧は「こんな所に汐汲みがいる筈はないが」と怪しむと、「融の大臣が陸奥の千賀の塩釜の景色を移したところですから、汐汲みがいても良いでしょう」と言う。
そして、月下の景色を賞したり、融のことを語ったり、付近の名所を教えたりしていたが、やがて汀に立ち寄って汐を汲むよと見る間に、たちまちその姿は消え失せた。
僧はなおも奇特を期待してそこに旅寝をしていると、融の大臣が現れ、昔を偲んで月下に様々な遊舞を奏していた。そして、明け方になって月の光とともに消え失せるのである。
豪奢な邸が荒廃してしまったというところに河原院の情趣があり、その情趣を狙った曲である。
河原の左大臣の美的生活の思い出を主題として、荒れ果てた景観に昔も今も変わりない月光を配して、その月下に描き出される夢幻のような美景の中に過去の生活の華やかな有様をしのぶ。それを忍び恋いるにつけても歳月の流れ去ることの早いことかを感ぜしめる。芸術味、風流感、無常観が非常に豊かな作品でもある。
六條河原院=六条京極の辺りにあった邸。
雲上の飛鳥は 地『また水中の遊魚ハ』 シテ『釣針と疑ふ』 地『雲上乃飛鳥ハ』 シテ『弓の影とも驚く』 地『一輪も降らず』 シテ『萬水も昇らず』 地『鳥ハ池辺の樹に宿し』 シテ『魚ハ。月下乃波に伏す』 地『聞くともあかじ秋の夜の』 シテ『鳥も鳴き』 地『鐘も聞えて』 シテ『月もはや』 地『影かたむきて明方の。雲となり雨となる。この光陰に誘はれて。月の都に。入りたまふよそほひあら名残惜しの。面影や名残惜しの面影』 |
■小謡 (上歌)『雪とのみ。積りぞ来ぬる年月の。積りぞ来ぬる年月の。春を迎へ秋を添へ。しぐるヽ松の。風までも我が身の上と汲みて知る。汐馴衣袖寒き。浦曲の秋乃。夕べかな浦曲の秋乃夕べかな』 ■小謡 (上歌)『げにや古も月にハ千賀の塩窯の。月にハ千賀の塩窯の。浦曲の秋も半ばにて。松風も立つなりや霧の籬の島隠れ。いざ我も立ち渡り。昔の跡を陸奥の千賀の浦曲を。眺めんや千賀乃浦曲を眺めん』 ■小謡 (上歌)『恋しや恋しやと。慕へども歎けども。かひも渚の浦千鳥音をのみ。鳴くばかりなり音をのみ。鳴くばかりなり』 ■小謡 (上歌)『この光陰に誘はれて。月の都に。入りたまふよそほひあら名残惜しの。面影や名残惜しの面影』 |