【と】
088 巴(ともえ)


神前に向ひ手を合はせ
ワキ『不思議やさてハ義仲の。神と現れこの所に。在し給ふハありがたさよと。神前に向ひ手を合はせ』
(地)『古の。これこそ君よ名ハ今も。これこそ君よ名ハ今も。有明月の義仲の。仏と現じ神となり。世を守り給へる誓ひぞ。ありがたかりける。旅人も一樹乃蔭。他生の縁と思し召し。この松が根に旅居し夜もすがら経を読誦して。五衰を。慰め給ふべし。ありがたき値遇かなげにありがたき値遇かな』

(作者) 能本作者註文には作者不明、二百十番謳目録には観世小次郎信光作とあるが、自家伝抄は世阿弥の作としている。
(曲柄) 二番目 修羅物
(季節) 正月
(稽古順) 四級
(所) 近江国滋賀郡粟津原
(物語・曲趣) 木曾の山家の僧が上洛の途中、江州粟津の原で一休みしていると、ひとりの女が来て松陰の神前で涙を流すので、僧は不審に思ってそのわけをたずねる。

これに対して女は「行教和尚宇佐八幡に詣でて感涙を流した故事」を語る。そのあとで、僧の郷里を問いただし、僧が木曾の人であることを知る。

女は僧に対して、「ここにはお僧と同郷の木曾義仲が祀られています。どうか義仲の霊を慰めてください」と言う。そして「実は私も亡者が仮に現れたのです」と告げて、夕暮れの草陰に消えた。

僧が回向をしながらその夜を過ごしていると、先刻の女が甲冑姿で現れて、「自分はという女武者である」と名乗る。

そして、ここで自分が奮戦した有様や義仲の最期の様子などを語り、「義仲と一緒に死ぬ事を許されず、形見の品を持ってひとりで木曾に落ちのびたのが心残りです。その執念を晴らしてください」と僧の回向を乞うである。 

木曾義仲の戦死を愛妾巴の側から描いている。巴の献身的な愛、それが主題である。

巴は義仲と枕を並べて討ち死にすることを本望と思っていたが、義仲は巴が女であるという理由でそれを許さない。義仲のその思いやりが、彼女には却って恨めしかったのである。

江州粟津の原=滋賀県大津市の瀬田と膳所との間にある。木曾義仲・今井兼平等の戦死したところである。
行教和尚=大和国大安寺の僧。
宇佐八幡=大分県宇佐郡宇佐にあり、応神天皇・神功皇后・玉依姫を祀る。
=義仲の妾。中原兼遠の女で、樋口兼光や今井兼平の妹に当たる。


四方を払ふ八方払ひ
独吟、仕舞『かくて御前を立ち上り。見れば敵の大勢。あれハ巴か女武者。余すな漏らすなと。敵手繁く懸れば。今ハ退くとも遁るまじ。いで一戦嬉しやと。巴少しも騒がずわざと敵を近くなさんと。長刀ひきそばめ。少し恐るゝ気色なれば。敵ハ得たりと切って懸れば長刀柄長くおつ取り延べて。四方を払ふ。八方払ひ。一所に当るを木の葉返し。嵐も落つるや花の瀧波枕を畳んで戦ひければ。皆一方に。切り立てられて後も遥かに見えざりけり。後も遥かに見えざりけり。』

小謡
(上歌)『古の。これこそ君よ名ハ今も。これこそ君よ名ハ今も。有明月の義仲の。仏と現じ神となり。世を守り給へる誓ひぞ。ありがたかりける。旅人も一樹乃蔭。他生の縁と思し召し。この松が根に旅居し夜もすがら経を読誦して。五衰を。慰め給ふべし。ありがたき値遇かなげにありがたき値遇かな』

小謡
(上歌)『粟津の汀にて。波の討死末までも。御供申すべかりしを。女とて御最期に。捨てられ参らせし怨めしやあ。身ハ恩の為。命ハ義による理誰か白真弓取りの身乃。最期に臨んで後名を。惜しまぬ者やある』

(役別) 前シテ 里女、 後シテ 巴御前、 ワキ 旅僧、 ワキツレ 従僧(二〜三人)
(所要時間) 三十五分