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091 錦木(にしきぎ)
不思議やなこれなる ワキ『不思議やなこれなる市人を見れば。夫婦と思しくて。女性の持ち給ひたるハ 鳥乃羽にて織りたる布と見えたり。また男の持ちたるハ美しく彩り飾りたる木なり。 何れも何れも不思議なる売物かな。これハ何と申したる物にて候ぞ』 ツレ『これハ錦木とて飾れる木なり。何れも何れも当所の名物なりこれこれ召され候へ』 ワキ『げにげに錦木細布の事ハ承り及びたる名物なり。さて何故の名物にて候やらん』 |
(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 四番目 (略二番目)
(季節) 九月
(稽古順) 三級
(所) 陸中国鹿角郡錦木村
(物語・曲趣) 陸奥狭布の里に、恋する男と恋される女がいた。所の習慣で、男は思う女の家の門に錦木を立てる。錦木が取り入れられれば求婚が容れられたしるしであるが、容れられなければ錦木はそのまま門前に残される。
主人公の男が三年通って立てた錦木の数は千本に及んだが顧みられず、女主人公はいつも家の中で機を織りつづける。男は悲恋の結果、思い死してこの世を去ると、女も男の執心にたたられてやがてこの世を去る。
この世で添うことのできなかったふたりの遺骸は、同じ塚の下に千束の錦木と細布と一緒に葬られ、その塚は錦塚と名づけられ、あわれな恋の語り草となった。
恋慕の執心が旅僧の回向によって救われ、生前に遂げられなかった思いが妹背の逢瀬を楽しむことが出来るようになるというのが、この曲の主題。その悲しい喜びが黄鐘早舞で表現されている。
狭布の里=けふのさと。陸奥の歌枕として有名。仮説の地名。
閉ざしたる門を敲けども ツレ『女ハ塚の内に入りて。秋の心も細布乃。機物を立てゝ機を織れば』 シテ『夫ハ錦木取り持ちて。閉したる門を敲けども』 ツレ『内より答ふる事もなく。密かに音するものとてハ』 シテ『機物の音』 ツレ『秋の虫の音』 シテ『聞けば夜声も』 ツレ『きり』 シテ『はたり』 ツレ『ちゃう』 シテ『ちゃう』 |
■小謡 (上歌)『げにや流れてハ。妹背の中乃川と聞く。妹背の中乃川と聞く。吉野の山ハ 何処ぞや。此処ハまた。心乃奥か陸奥の狭布乃郡の名にし負ふ。細布乃。色こそ変れ 錦木の。千度百度徒に。悔しき頼みなりけるぞ。悔しき頼みなりける』 ■小謡 (上歌)『錦木ハ。立てながらこそ朽ちにけれ。立てながらこそ朽ちにけれ。狭布の細布。 胸あはじとやとさしも詠みし細布の。機ばりもなき身にて。歌物語恥かしや。げにや名のみ ハ岩代乃。松の言乃葉とり置き夕日の影も錦木の。宿りにいざや帰らん宿りにいざや帰らん』 |