【ぬ】
092 鵺(ぬえ)


シテ ワキの問答
ワキ『不思議やな夜も更方の浦波に。幽かに浮かみ寄る物を。見れば聞きしに変らずして。舟の形ハありながら。たゞ埋木の如くなるに。乗る人影もさだかならず。あら不思議の者やな』

(作者) 世阿弥元清。ただし、二百十番謳目録には観阿弥作。
(曲柄) 四・五番目(略二番目)
(季節) 四月
(稽古順) 二級
(所) 摂津国武庫郡芦屋ノ里
(物語・曲趣) 三熊野に参詣した旅僧が、上洛の途中に摂津の芦屋の里で一夜を明かしていると、そこへ埋木のようなうつほ舟に乗った異様な者が漕ぎ寄せて来た。

僧が名を尋ねると、「私は近衛院の御宇に頼政の矢先にかかって死んだの亡魂である」と答えたあと、さらにその時の様子を語り、回向を乞い願ったあと舟に乗って消え失せた。

そこで、旅僧が夜もすがら読経をしていると、鵺の亡魂がその本体を現し「回向の功力で成仏できそうになったこと」を感謝する。

さらに亡魂は、「頼政に退治されたのも君の天罰に当たったのである」と懺悔したあと、「頼政は恩賞を蒙ったが、自分はうつほ舟に入れられて流されて成仏の出来ない身となっていたのである」と語リ、なお回向を乞うて消え失せるのである。

三熊野=和歌山県牟婁郡にある本宮、新宮、那智の熊野三社をいう。
芦屋の里=兵庫県武庫郡住吉町。
近衛院=第七十六代近衛天皇。
=虎つむぎとも呼ばれる小鳥である。鵺は悪心外道の一変化で、仏法王法の障碍を企んだ悪霊と解されている。頭は猿、尾は蛇、足手は虎に似て、鳴く声が鳥の鵺に似ていたからである。


月を少し目にかけて
シテ『ほとゝぎす。名をも雲居に。揚ぐるかなと。仰せられければ』
地『頼政。右の膝をついて。左の袖を広げ月を少し目にかけて。弓張月の。いるにまかせてと。仕り御剱を賜はり。御前を。罷り帰れば。頼政ハ名を揚げて。我ハ。名を流すうつほ舟に。押し入れられて。淀川の。淀みつ流れつ行く末の。鵜殿も同じ蘆の屋の。浦曲乃浮洲に流れ留つて。朽ちながらうつほ舟の。月日も見えず。冥き道にぞ入りにける。遥かに照らせ。山の端乃遥かに照らせ。山の端乃月と共に。海月も入りにけり海月と共に入りにけり』

小謡
(上歌)『さゝで来にけりうつほ舟。さゝで来にけりうつほ舟。現か夢か明けてこそ。海松藻も。刈らぬ蘆の屋に。一夜寝て海士人乃。心の闇を弔ひ給へ。ありがたや旅人ハ。世を遁れたる御身なり。我ハ名のみぞ捨小舟法の力を頼むなり法の力を頼むなり』

(役別) 前シテ 舟人、 後シテ 鵺、 ワキ 旅僧
(所要時間) 三十六分