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093 野宮(ののみや)


来てしもあらぬ仮の世に
(上歌)『野の宮乃。森の木枯秋更けて。森の木枯秋更けて。身にしむ色の消えかへり。思へば古を何と忍乃草衣。来てしもあらぬ仮の世に。行き帰るこそ恨みなれ行き帰るこそ恨みなれ』

(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 三番目 鬘物
(季節) 九月
(稽古順) 一級
(所) 山城国京都市嵯峨野野宮
(物語・曲趣) 上洛中の廻国の僧が、晩秋のときに野宮を訪れる。

そこへ美しい女が現れ、「九月七日の今日は、私がここで密かに神事を行う日に当たっているから、早く帰ってください」と言うので、僧はその神事の謂れを尋ねる。

女はそれに答えて、「昔ここに居られた六条御息所のこと」を語ったが、ついに「自分がその御息所である」ことを告げて姿を消え失せた。

その夜、僧が跡を弔っていると、物見車に乗った御息所の霊が現れて、「賀茂の祭りの日に葵の上と車争いをして辱められた」ことを語り、「その妄執を晴らしてください」と頼み、辺りの風物を懐かしがって舞を舞った。

そして、やがて御息所は再び車に乗って立ち去られるのである。

主題は、六条の御息所が光源氏の愛を失った後の淋しい心境を表現するところにある。

同じ題材を取り扱ったものに「葵上」があるが、「葵上」では御息所は生きているのに対して、「野宮」では既に過去の人となっている。

野宮=伊勢の斎宮に立たれる方が潔斎のために篭られるところで、嵯峨野野宮町に古跡がある。
九月七日=長月七日。光源氏が六条御息所を野の宮に訪ねて来た日に当たる。


鳥居に出で入る
地『此処ハ元より忝くも。神風や。伊勢の内外乃鳥居に出で入る姿ハ生死の道を。神ハ受けずや。思ふらんと。また車に。うち乗りて火宅の門をや。出でぬらん火宅の門』

小謡
(上歌)『野の宮乃。森の木枯秋更けて。森の木枯秋更けて。身にしむ色の消えかへり。思へば古を何と忍乃草衣。来てしもあらぬ仮の世に。行き帰るこそ恨みなれ行き帰るこそ恨みなれ』

小謡
(上歌)『末枯の。草葉に荒るゝ野の宮乃。草葉に荒るゝ野の宮乃。跡なつかしき此処にしも。その長月乃七日の日も。今日に廻り来にけり。ものはかなあしや小柴垣いと仮初の御住居今も火焼屋の幽かなる。光ハ我が思ひ内にある色や外に見えつらん。あら淋し宮所あら淋し。この宮所』

(役別) 前シテ 里女、 後シテ 六条御息所、 ワキ 旅僧
(所要時間) 五十二分