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094 野守(のもり)


水に映れる影なりけるぞや
独吟『あるよと見えて白斑の鷹。あるよと見えて白斑乃鷹。よくよく。見れば木乃下の水に映れる。影なりけるぞや鷹ハ木居にありけるぞ。さてこそ箸鷹乃。さてこそ箸鷹乃。野守の鏡得てしがな。思ひ思はず。外ながら見んと詠みしもこの鷹を映す故なり。實に畏き時代とて。御狩も繁き春日野の。飛火の野守出で会いて。叡慮にかゝる身ながら老乃思ひ出の世語を。申せばすゝむ涙かな申せばすゝむ涙かな』

(作者) 世阿弥元清。ただし一説には金春禅鳳作。
(曲柄) 五番目 切能
(季節) 正月
(稽古順) 五級
(所) 大和国奈良春日野雪消澤
(物語・曲趣) 大峯葛城へと志した羽黒山の山伏が、大和の春日野に来て野守の翁に出会った。

そこで、山伏は翁に野中にある清水の名を尋ねると、「我らの如き野守の影を映すので野守の鏡と称しているが、真の野守の鏡というのは、昔この野に棲んでいた鬼神の鏡のことである」と教える。

山伏がその真の野守の鏡を見たいと言うと、「鬼の持つ鏡を見ると恐れたもうであろうから、この水鏡の方を見られよ」と言い捨てて、塚の中に消え失せた。

その後、山伏が肝胆を砕いての祈りをした効験があって、鬼神は鏡を持って塚から現れ、あらゆる世界の様相を映して見せた後、奈落の底に飛び入った。

所を春日野とし、時を春としたのは、「春日野の飛火の野守出でて見よ今幾日あり若菜摘みてん」という古歌に拠ったからである。その春日野の野守の翁に野守の鏡の伝説を語らせ、後半ではその伝説の鬼を主人公としたのである。

羽黒山=山形県東他田川郡にあり、山伏修験道の道場として有名な山。
肝胆を砕いて=誠心を尽くして懸命に。
奈落=梵語の音訳語で、地獄をいう。
春日野の飛火の野守出でて見よ今幾日あり若菜摘みてん=古今集、読人不知の歌。


浄波璃の鏡となつて
地『さて又大地をかがみ見れば』
シテ『まづ地極道』
地『まづハ地極乃有様を現す一面八丈の。浄波璃の鏡となつて。罪乃軽重罪人の呵責。打つや鉄杖の数々。悉く見えたりさてこそ鬼神に横道を正す。明鏡乃寶なれ。すはや地獄に帰るぞとて。大地をかつぱと。踏み鳴らし。大地をかつぱと。踏み破って。奈落の底にぞ。入りにける』

小謡
(上歌)『昔仲麿が。昔仲麿が。我が日の本を思ひやり。天の原。ふりさけ見ると詠めける。三笠の山陰の月かも。それハ明州乃月なれや。此処ハ奈良の都乃春日のどけき景色かな春日のどけき景色かな』

小謡
(上歌)『立ち寄れば。げにも野守の水鏡。げにも野守の水鏡。影を映していとどなほ。老の波ハ真清水乃。あはれげに見しまゝ乃。昔の我ぞ恋しき。げにや慕ひても。かひあらばこそ古乃。野守の鏡得し事も年古き世の例かや年古き世乃例かや』

(役別) 前シテ 野守の翁、 後シテ 鬼神、 ワキ 山伏
(所要時間) 二十九分