【は】
097 橋弁慶(はしべんけい)


げに奇特なる者かな
上歌『神変奇特不思議なる。神変奇特不思議なる。化生乃者に寄せ合はせ。かしこう御身討たすらん。都広しと申せども。これ程の者あらじ。げに奇特なる者かな』

(作者) 能本作者註文は作者不明としているが、歌謡作者考及び異本謳曲作者には世阿弥作とある。しかし、二百十番謳目録と自家伝抄とは日吉佐阿弥安清の作としており、曲柄から類推すると佐阿弥作とするのが妥当と思われる。
(曲柄) 四番目(略二番目)
(季節) 九月
(稽古順) 五級
(所) 前、近江国比叡山西塔
    後、京都五条橋(今ノ松原橋)
(物語・曲趣) 武蔵坊弁慶が、満参の日に、五条天神へ丑の刻詣でをしようとすると、従者が「五条の橋に少年が現れて不思議な早業で人を切りまわるそうだから、今夜の物詣はお止めになったら」と言う。

それを聞いて、弁慶は思いとどまろうとしたが、「聞き逃げは無念。むしろその化生の者を討ち取ってやろう」と決心して夜更けを待つ。

牛若は、明日は母の命令によって寺に上がることになったので、今夜を名残に五条の橋に出て通る人を待っている。

すると、鎧に身を固めた弁慶が大長刀を担いでやって来て、通り過ぎようとする被衣姿の牛若を女と思い、長刀の柄元を蹴上げて戦を挑む。

激闘の末、弁慶は牛若の秘術に悩まされて降参し、たがいに名乗りあった後、主従の契約を結び九条の邸へお供する。

原拠では、弁慶が五条の橋で太刀強盗を働いているのであるが、それを牛若の方にしたのは前段における会話で牛若の早業に関する予備説明を加えようとしたためであって、本曲の中心をなすのは言うまでもなく後段の切り組である。

武蔵坊弁慶=義経記・謡曲・幸若には天下無双の剛勇者として扱われている義経の臣。吾妻鏡にも見える人物であるから、架空的人物ではない。
満参の日=あらかじめ定めた参詣の日数が満ちる最後の日。
丑の刻詣=丑の刻は現在の午前二時から四時頃までの時刻。この深夜を冒して参詣すれば、祈願は必ず成就すると信ぜられていた。
化生の者=妖怪変化的なもの。
九条の邸=牛若の居所があったところと考えられる。おそらく母常磐が九条院の雑仕であったところからの想像であろう。


切先に太刀打ち合はせ
シテ『すは。痴者よ物見せんと』
地『長刀やがて取り直し。長刀やがて取り直し。いで物見せん。手練の程と。斬って懸れば牛若ハ。少しも騒がずつゝ立ち直って。薄衣引き除けつゝ。しうしづと太刀抜き放ってつヽ支へたる長刀乃。切先に太刀打ち合はせ。詰めつ開いつ戦ひしが。何とかしたりけん。手許に牛若寄るとぞ見えしが畳み重ねて打つ太刀に。さしもの弁慶合はせ兼ねて。橋桁を二三間。退つて。肝をぞ消したりける』

小謡
(上歌)『夕べ程なく暮方の。夕べ程なく暮方の。雲乃気色も引きかへて。風すっさましく更くる夜を。遅しとこそハ待ち居たれ遅しとこそハ待ち居たれ』

小謡
(上歌)『面白の景色やな。面白乃景色やな。そゞろ浮き立つ我が心。波も玉散る白露の。夕顔乃花の色。五条の橋乃橋板を。とゞろとゞろと踏み鳴らし。音も静かに更くる夜に。通る人をぞ待ち居たる通る人をぞ待ち居たる』

(役別) 前シテ 武蔵坊弁慶、 後シテ 前同人、 子方 牛若丸、 トモ 弁慶ノ従者
(所要時間) 二十分