【は】
099 鉢木(はちのき)


雪うち払ひて見れば
地『捨人の為の鉢の木切るとてもよしや惜しからじと。雪うち払ひて見れば面白や如何にせん。まづ冬木より咲き初むる。窓の梅の北面は。雪封じて寒きにも。異木よりまづ先だてば梅を切りや初むべき。見じといふ。人こそ憂けれ山里の。折りかけ垣の梅をだに。情けなしと惜しみしに。今更薪になすべしとかねて思ひきや。桜を見れば春毎に。花少し遅ければ。この木や侘ぶると心を尽くし育てしに。今ハ我のみ侘びて住む。家桜切りくべて緋桜になすぞ悲しき』

(作者) 能本作者註文、歌謡作者考、異本謳曲作者は世阿弥の作とし、二百十番謳目録と自家伝抄とは観阿弥の作としているが、そのいずれであるかは断定し難い。
(曲柄) 四番目(略二番目)
(季節) 十二月
(稽古順) 九番習
(所) 前、上野国群馬郡佐野村
     後、相模国鎌倉
(物語・曲趣) ある旅僧が信濃の国から鎌倉に上る途中、上野の国佐野で大雪に遭い、ある家に宿を乞う。貧しい暮らしのこの家の夫婦は粟飯を出してもてなし、また秘蔵の鉢の木をも焚いて暖を取らせた。

僧は主人を由緒ある人と察し、強いてその素性を訊ねる。

すると、主人は「佐野源左衛門尉常世がなれの果て」と名乗り、「一族のものに横領されて零落はしたが、もし鎌倉に大事が起こったら一番にはせ参じて奉公する覚悟だ」と語る。

やがて引き止める夫婦に名残を惜しみながら僧は立ち去る。

旅僧(最明寺時頼)は、鎌倉に帰ると、常世の言葉の真偽を試そうとして諸国の軍勢を召集する。すると、果たして常世はやせ馬に鞭打ってはせ参じた。

そこで、時頼は常世の忠節を誉めて本領を安堵せしめて、さらに鉢の木のもてなしに対して三箇の庄を与える。常世は面目を施して帰って行く。

主題は封建時代の武士階級の道義感を取り扱ったもので、主人公の不遇、隠忍、廉直、誠実が極度に強調されている。

佐野=群馬県群馬郡佐野村。
鉢の木=盆栽の樹。
安堵=安堵状。所領を承認した状。


これ見給へや人々よ
シテ『常世ハこれを賜りて』
地『常世ハこれを賜りて。三度頂戴仕り。これ見給へや人々よ。はじめ笑ひし輩も。これ程の御気色さぞ羨ましかるらん。さて国々の諸軍勢。みな御暇賜はり故郷へとてぞ帰りける』

小謡
(上歌)『げにこれも旅の宿。げにこれも旅の宿。仮初ながら値遇の縁。一樹の蔭乃
宿りもこの世ならぬ契りなり。それハ雨乃木蔭これハ雪の軒古りて。憂き寝ながらの
草枕夢より霜や。結ぶらん夢より霜や結ぶらん』

■小謡

地『松ハもとより煙にて。薪となるも理や切りくべて今ぞ御垣守。衛士の焚く火ハおためなりよく寄りてあたり給へや』

独吟
シテ『仙人に仕へし雪山乃薪』
ツレ『かくこそあらめ』
シテ『我も身を』
地『捨人の為の鉢の木切るとてもよしや惜しからじと。雪うち払ひて見れば面白や如何にせん。まづ冬木より咲き初むる。窓の梅の北面は。雪封じて寒きにも。異木よりまづ先だてば梅を切りや初むべき。見じといふ。人こそ憂けれ山里の。折りかけ垣の梅をだに。情けなしと惜しみしに。今更薪になすべしとかねて思ひきや。桜を見れば春毎に。花少し遅ければ。この木や侘ぶると心を尽くし育てしに。今ハ我のみ侘びて住む。家桜切りくべて緋桜になすぞ悲しき』
シテ『さて松はさしもげに』
地『枝をため葉をすかしてかヽりあれと植ゑ置きし。そのかひ今ハ嵐吹く。松ハもとより煙にて。薪となるも理や切りくべて今ぞ御垣守。衛士の焚く火ハおためなりよく寄りてあたり給へや』

(役別) 前シテ 佐野源左衛門常世、 後シテ 前同人、 ツレ(前) 常世ノ妻、 前ワキ 旅僧、 後ワキ 最明寺時頼、 ワキツレ 二階堂某
(所要時間) 六十五分