【ひ】
103 百萬(ひゃくまん)


誰かハ頼まざる
地『人ハ雨夜乃月なれや。雲晴れねども西へ行く』
シテ『阿弥陀仏やなまうだと』
地『誰かハ頼まざる誰か頼まざるべき』
シテ『これかや春乃物狂』
地『乱れ心か恋草乃』

(作者) 世阿弥元清。ただし、能作書に「昔の嵯峨物狂の狂女、今の百萬」とあることから、古曲の改作であることは明らかである。その原作である嵯峨物狂の作者は、多分世阿弥の父観阿弥であろう。
(曲柄) 四番目 (略三番目) 狂女物
(季節) 三月
(稽古順) 三級
(所) 
京都嵯峨清涼寺釈迦堂
(物語・曲趣) 大和国吉野の男が、南都西大寺のあたりで拾った少年を連れて山城の嵯峨の大念仏に参ると、ひとりの狂女が来た。

狂女は念仏の音頭を取り狂った後に、仏前に参り「我が子に逢わせ、狂気を止めたまえ」と祈る。

それを見た少年が「あれは我が母である」と連れの男に告げたので、男は狂女に「生国や狂乱の理由」をたずねる。狂女は「奈良の都の百萬という者で、ただひとりの子に生き別れ狂乱となったのです」と答える。

男はそれを憐れに思い、「信心に私が無かったら、逢えないものでもない」と狂女に言う。

すると、狂女は「それでは、法楽の舞を舞いましょう」と言って舞う。

狂女はその舞の中で、子供を尋ねて迷い歩いた様子をみせたりして舞ったが、その舞の後で男が狂女に少年を逢わせてやると、「これも法の力である」と喜び、ともに故郷に帰って行った。

四番目物の中でも女の狂女物は世阿弥をして面白いものとされているが、この「百萬」は殊に面白い曲である。

女の狂乱にもいろいろあるが、この曲は親子恩愛の狂乱である。主題となっているのは、彼女が自分の子供にめぐり逢ったかというより、子供にめぐり逢うまでに如何に狂乱したかという点にある。したがって、狂乱そのものがどこまでも見せ場であるというべきである。

西大寺
=南都七大寺のひとつで、奈良県生駒郡伏見村にある。称徳天皇の創立。
百萬=南都に住んでいた有名な曲舞女。
信心私なくは=他念なく信心すれば。
法楽の舞=神仏の慰めに舞う舞。


母諸共に廻りあふ 
地『たまたま逢ふハ優曇華乃。花持ち得たり夢か現か幻か。よくよくものを案ずるに。よくよくものを案ずるに。かの御本尊ハ元よりも。衆生の為乃父なれば。母諸共に廻り逢ふ。法乃力ぞありがたき。願ひも三つの車路を。都に帰る嬉しさよ都に帰る嬉しさよ』

小謡
(キリ)『よくよくものを案ずるに。かの御本尊ハ元よりも。衆生の為乃父なれば。母諸共に廻り逢ふ。法乃力ぞありがたき。願ひも三つの車路を。都に帰る嬉しさよ都に帰る嬉しさよ』


(役別) シテ 狂女、 子方 百萬ノ子、 ワキ 里女
(所要時間) 四十分