【ふ】
104 富士太鼓(ふじたいこ)


シテクドキの中
クドキ『今までハ行方も知らぬ都人の。わらはを田舎の者と思し召して。偽り給ふと思ひしに。真に著き鳥兜。月日も変らぬ狩衣の。疑ふ所もあらばこそ。傷はしやかの人出て給ひし時。みづから申すやう。天王寺の楽人ハ召にて上りたり。』

(作者) 二百十番謳目録、能本作者註文、歌謡作者考、異本謳曲作者等はみな世阿弥の作としているが、自家伝抄だけは禅竹作とし、「但異作、金剛大夫所望」と註記している。
(曲柄) 四番目 (略三番目)
(季節) 九月
(稽古順) 三級
(所) 京都
(物語・曲趣) 萩原院の時代に宮廷で管弦の催しがあったとき、天王寺浅間という楽人が太鼓の役に召された。一方、住吉にも富士という太鼓の上手がおり、富士も役を志願して上洛した。

浅間はこれを知って富士を憎んで、宿所に押し寄せて富士を殺してしまった。

富士の妻は、夫を見送った後の夢見が悪いので娘を連れて上洛すると、富士は殺されていた。妻は夫の形見の衣装を身に付け、鳥兜を身にかぶって舞楽の大太鼓の前に立った。

夫の仇を討とうと思う一念が彼女を狂乱させたのである。夫を失った女の哀れさが表現されており、また感情の昂ぶった発作的狂態が描かれている。

連れている子供が女の子であることも、この母子の無力さと哀れさとを示すかたちになっている。

この曲と「梅枝」は狂乱物である。狂乱物の女主人公の多くは、子供がいなくなったことに関するものであるが、この二曲は亡き夫に対する恋慕の情熱が主題となっている。

萩原院=第九十五代花園天皇。
天王寺=大阪市の四天王寺。昔の楽人は、京都、奈良、天王寺の三箇所に置かれて、三方楽人と称されていた。
浅間、冨士=いずれも、謡曲作者の仮作した名称。
住吉=大阪市住吉神社を指す。但し、住吉には専属の楽人はいない。
鳥兜=楽人の冠る冠物。


我には晴るヽ胸の煙
地『さて又千代や萬代と。民を栄えて安穏に』
シテ『太平楽を打たうよ』
地『日も既に傾きぬ。日も既に傾きぬ。山の端を眺めやりて招き返す舞の手乃。嬉しや今こそハ。思ふ敵ハ討ちたれ。討たれて音をや出すらん我にハ晴るヽ胸の煙。富士が恨みを晴らせば涙こそ上なかりけれ』

小謡
(上歌)『寝られぬまヽに思ひ立つ。寝られぬまヽに思ひ立つ。雲居や其方故郷ハ。あとなれや住吉の松乃隙より眺むれば。月落ちかヽる山城もはや近づけば笠を脱ぎ。八幡に祈り掛帯の。結ぶ契りの夢ならで。現に逢ふや男山都に早く。着きにけり都に早く着きにけり』

(役別) シテ 富士ノ妻、 子方 富士ノ娘、 ワキ 臣下
(所要時間) 三十分