【ふ】
105 二人静(ふたりしづか)
シテ ツレの問答 ツレ『見渡せば。松の葉白き吉野山。幾代積りし。雪ならん。深山にハ松の雪だに消えなくに。都ハ野辺の若菜摘む。頃にも今や。なりぬらん。思ひやるこそゆかしけれ』『木の芽春雨降るとても。木の芽春雨降るとても。なほ消え難きこの野辺の。雪の下なる若葉をば今幾日ありて摘まゝし。春立つと。言ふばかりにや三吉野の山もかすみて白雪の消えし跡こそ道となれ消えし跡こそ道となれ』 シテ『なうなうあれなる人に申すべき事の候』 |
(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 三番目 鬘物
(季節) 一月
(稽古順) 一級
(所) 前、大和国吉野郡菜摘川
後、同吉野山勝手神社
(物語・曲趣) 三吉野の勝手明神の神職が、正月七日の御神事に供える若菜を摘みに、女を菜摘川へ遣る。
すると、ひとりの女が来て、社家その他の人々に一日経を書き、「私の跡を弔ってください。そのときにもし疑う人がいたら、私があなたに憑いて名を明かしましょう」と言って、消え失せた。
驚いた菜摘み女が帰ってこのことを語り、「なんだか嘘のような話ですが」と言うや否や、たちまちもの狂おしい様子となって、「私はこの山まで判官殿のお供をした静です」と言う。
そして、明神の宝蔵にある昔の舞装束を取り出させて、それを着て舞おうとするそのとき、静の霊も現れた。そして「義経吉野落ちの辛苦や頼朝に召されて舞いを所望されたときのこと」などを物語りながら、ふたりで舞った後で回向を乞う。
静をして、義経と一緒に吉野落ちをしたころのことを語らせ、かつ舞わせるのが本曲の目的であるが、二人静という変わった趣向にしている点を特に注意すべきである。
三吉野=大和吉野山。三は接頭語。
勝手明神=吉野山の山口神社で、蔵王堂より南方五町の所にある。
菜摘川=夏箕川とも書く。吉野川が吉野郡菜摘の辺りを流れる区間の名称。
社家=神職の家柄の人。
一日経=一日頓写の経。大勢で一日のうちに経典を書写して供養とすること。
判官殿=検非違使尉源義経を指す。
思ひ反せばいにしへも シテ ツレ『思ひかへせば。いにしへも』 地『思ひかへせばいにしへも。恋しくもなし。憂き事の。今も恨みの衣川。身こそハ沈め。名をば沈めぬ。』 シテ ツレ『武士の』 地『物毎に憂き世の習ひなればと思ふばかりぞ山桜。雪に吹きなす花の松風静が跡を弔ひ給へ静が跡を弔ひ給へ』 |
■小謡 (上歌)『木の芽春雨降るとても。木の芽春雨降るとても。なほ消え難きこの野辺の。雪の下なる若葉をば今幾日ありて摘まゝし。春立つと。言ふばかりにや三吉野の山もかすみて白雪の消えし跡こそ道となれ消えし跡こそ道となれ』 |