【ふ】
107 船弁慶(ふなべんけい)
舟子どもはや纜をとくとくと 地『かく尊詠の偽りなくハ。やがて御代に出船乃。舟子ども。はや纜をとくとくと。はや纜をとくとくと。勧め申せば判官も。旅の宿りを出で給へば』 シテ『静ハ泣く泣く』 地『烏帽子直垂脱ぎ捨てゝ。涙に咽ぶ御別れ。見る目も哀れなりけり見る目も哀れなりけり』 |
(作者) 観世小次郎信光
(曲柄) 五番目
(季節) 十一月
(稽古順) 四級
(所) 前、攝津国尼崎市大物浦
後、攝津国茅渟海上
(物語・曲趣) 源義経が、兄頼朝の疑いを解こうとして、弁慶その他の家来を従えて、都から攝津尼崎の大物浦まで落ちて来た。
弁慶は、そのとき静御前が義経について来たのを知って、義経に対して「このような場合に、静を同道されるのは似合わしくない」と諌め、義経も同意した。
弁慶は、静の宿をたずねてこのことを言うと、静は「弁慶の一存から出たもの」と誤解し、義経のところに行って聞く。すると、義経からも
都に帰るようにと勧められる。
やむなく、静は別離の酒宴で別れを悲しみながら舞を舞ったが、ついに思い切って別れて行く。
義経は船出を延期しようとしたが、弁慶は押し切って出船させる。しばらくすると、にわかに風向きが変わり、船が荒波にもまれる。
すると、不思議なことに海上に西国で滅びた平家一門の怨霊が現れる。知盛の幽霊が義経を海に沈めようと斬ってかかるのを、弁慶は数珠を押し揉んで祈り、退けようとする。
ついに、怨霊の方が負けて、引く潮とともに消え失せた。
前半には静の悲哀美の情緒を主題とし、後半には知盛の凄壮美の勇武を主題とする。作者もそれを狙ったのであろう。
大物浦=尼崎市西南の濱。
知盛=清盛の三男。勇将であった。
また義経をも 地『声をしるべに出船乃。声をしるべに出船乃』 シテ『知盛が沈みしその有様に』 地『また義経をも海に沈めんと。夕波に浮かめる長刀取り直し。巴波乃紋遍を払ひ。潮を蹴立て悪風を吹きかけ。眼を眩み。心も乱れて。前後を忘ずるばかりなり』 子方『そ乃時義経少しも騒がず』 |
■小謡 (上歌)『波風も。静を留め給ふかと。静を留め給ふかと。涙を流し木綿四手の。神かけて変らじと。契りし事も定めなや。げにや別れより。勝りて惜しき命かな。君に二度逢はんとぞ思ふ行末』 |
(役別) 前シテ 静、 後シテ 知盛ノ怨霊、 子方 判官源義経、 ワキ 武蔵坊弁慶、 ワキツレ 判官ノ従者(三人)
(所要時間) 四十分