【ほ】
108 放下僧(ほおかぞお)


切って三断となす
ワキ『げにげに面白う候。さて座禅の公案何と心得候べき』
ツレ『入ってハ幽玄の底に同じ。出でヽハ三昧乃門に遊ぶ』
ワキ『自身自仏ハさて如何に』
シテ『白雲深き処金龍躍る』
ワキ『生死に住せば』
シテ『輪廻の苦』
ワキ『生死を離れば』
シテ『断見の科』
ワキ『さて向上の一路ハ如何に』
ツレ『切って三断となす』
シテ『暫く。切って三断となすとハ。禅法の言葉なるを。お騒ぎあるこそ愚かなれ』

(作者) 歌謡作者考・異本謳曲作者には作者不明とあるが、二百十番謳目録・享保六年金春八左衛門書上には禅竹作としている。しかし、能本作者註文は近江能、自家伝抄は「宮増、近江へ遣」と記してあるので、宮増作とするのが穏当であろう。
(曲柄) 四番目(略二番目)
(季節) 九月
(稽古順) 二級
(所) 前、下野国
     後、横浜市磯子区六浦町瀬戸三島神社
(物語・曲趣) 下野の牧野左衛門が相模の利根信俊に討たれたが、左衛門の子の小次郎は相手が猛勢であるために敵討ちを決行しかねていた。

小次郎は、ある時、幼少の時に出家した兄を訪ねて孝の道を説き、兄を同意させた。やがて、兄弟は敵に近づく方便として、世間で流行している放下僧と放下に変装して出かける。

利根信俊は夢見の悪いのが続くのを気にして、武蔵国瀬戸の三島に参詣しようと出かける。その途中、信俊は放下僧と放下の姿に変装した兄弟に出会う。兄弟が自分を狙う者であることも知らず、信俊は禅問答などして打ち興ずる。

その後で、小次郎の兄は曲舞を舞い、鞨鼓を打ち、小歌を謡ったりして相手を油断させ、兄弟一緒に切りかかって首尾よく本望を達するのである。

主題とするところは、兄弟が如何にして復讐したかという点ではなく、復讐するために彼等が如何に遊狂したかという点にある。

放下=歌舞雑伎を演ずる一種の大道芸人で、僧形をした者を特に放下僧といった。
瀬戸の三島=横浜市六浦町の瀬戸神社。三島明神を勤請した社。

小謡
(上歌)『故郷の。名残もさぞな有明乃。名残もさぞな有明の。つれなきながら存ふる。命ぞ限り及第ハ我が心をや。頼むらん我が心をや頼むらん』

小謡
(上歌)『朝の嵐夕べ乃雨。朝の嵐夕べ乃露の村時雨定めなき世に古川乃。水の泡沫我いかに。人を徒にや。思ふらん人を徒にや思ふらん』

小謡
(上歌)シテ『面白の。花の都や』
地『筆に書くとも及ばじ。東にハ。祇園清水落ち来る瀧の。音羽の嵐に。地主の櫻ハ散り散り。西ハ法輪。嵯峨の御寺廻らば廻れ。水車の輪乃。臨川堰の川波。川柳ハ。水に揉まるヽ。枝垂柳ハ。風に揉まるヽふくら雀ハ。竹に揉まるヽ都の牛ハ。車に揉まるヽ茶臼ハ挽木に揉まるヽ。げにまこと。忘れたりとよ筑子ハ放下に揉まるヽ。筑子の二つ乃竹の。代々を重ねてうち治まりたる御代かな』

(役別) 前シテ 小次郎ノ兄(禅僧)、 後シテ 前同人(禅僧)、 前ツレ 牧野小次郎、 後ツレ 前同人、 ワキ(後) 利根信俊
(所要時間) 三十三分