【ま】
110 松風(まつかぜ)


影を汲むこそ心あれ
(上歌)『寄せてハ帰るかたを波。寄せてハ帰るかたを波。蘆辺の。田鶴こそハ立ち騒げ四方乃嵐も。音そへて夜寒何と過ごさん。更け行く月こそさやかなれ。汲むハ影なれや。焼く塩煙心せよ。さのみなど海士人乃憂き秋のみを過さん』
(下歌)『松島や雄島の海士乃月にだに影を汲むこそ心あれ影を汲むこそ心あれ』

(作者) 世阿弥元清。ただし、能作書に「昔汐汲みなり」とあるように、亀阿弥曲の汐汲みを改作したものである。なおその改作も、前段の汐汲みの段は観阿弥がこれを作り、後に世阿弥が更に「げにや思ひ内にあれば」のクドキの段を加えて一曲を改めたことは五音の記事によって明らかである。したがって、観世大夫書上に「観阿世阿弥両作」とあるのも首肯し得るものである。
(曲柄) 三番目 鬘物
(季節) 九月
(稽古順) 準九番習
(所) 摂津国神戸市須磨浦
(物語・曲趣) 諸国一見の僧が須磨の浦で由ありげな松を見ていると、「ここは松風村雨の旧跡である」ということ聞き、そこで弔っているうちに秋の日も暮れてしまった。

そこへ、二人の少女が月に照らされながら汐汲車を引いて帰って来たので、僧は一宿を乞う。

僧は「先ほど、松風村雨の旧跡を弔って来た」ことを少女達に話すと、女達は涙ぐんで「私はその松風村雨の幽霊である」と打ち明け、「中納言行平の恵みを受けた昔のこと」を物語った。

そうしているうちに、松風は行平への恋慕のあまりに心が乱れ、形見の烏帽子狩衣を着て舞を舞い、僧の回向を乞いて別れを告げた。

その後、僧の夢は醒めて、残るのはただ松風ばかりであった。

汐汲みの少女を描き、その若々しさにもかかわらず淋しい生活を余儀なくされていることから、淋しい気分の中に若い女の情熱を現わそうとしたものである。

「熊野松風に米の飯」という諺がある。米の飯は最も美味でかつ決して飽きないものである。そのように、「熊野」も「松風」も能の中で最も面白くて飽きないものだという意味であろう。


磯馴松の懐かしや
地『これハ懐かし君こゝに。須磨の浦曲乃松の行平。立ち返り来ば我も木蔭に。いざ立ち寄りて。磯馴松の。懐かしや』

小謡
(上歌)『影恥ずかしき我が姿。影恥ずかしき我が姿。忍び車を引く汐の跡に残れる。溜り水いつまで住みハ果つべき。野中の草の露ならば。日影に消えも失すべきにこれハ磯辺に寄藻掻く。海士の捨草いたづらに朽ちまさり行く袂かな朽ちまさり行く袂かな』

小謡
(上歌)『寄せてハ帰るかたを波。寄せてハ帰るかたを波。蘆辺の。田鶴こそハ立ち騒げ四方乃嵐も。音そへて夜寒何と過ごさん。更け行く月こそさやかなれ。汲むハ影なれや。焼く塩煙心せよ。さのみなど海士人乃憂き秋のみを過さん』
(下歌)『松島や雄島の海士乃月にだに影を汲むこそ心あれ影を汲むこそ心あれ』

(役別) シテ 松風、 ツレ 村雨、 ワキ 旅僧
(所要時間) 六十分