【み】
112 三井寺(みゐでら)


はやつきたりや後夜の鐘に
地『為楽と響きて菩提の道乃眠り乃。驚く夢の世乃迷ひも。はやつきたりや後夜乃鐘に。我も五障乃晴れて。真如の月の影を眺め居りて明さん』

(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 四番目 狂女
(季節) 八月
(稽古順) 二級
(所) 前、京都東山清水寺
     後、近江国大津市三井寺
(物語・曲趣) 行方不明になった我が子を尋ねて、駿河国からはるばる都に上り、清水寺に参篭して親子の再会を祈っている女性がいた。

ある夜、「我が子に逢おうと思うなら、三井寺へ行け」という霊夢を蒙ったので、喜んで三井寺へ出かける。

三井寺の従僧は、講堂の庭で八月十五夜の月見をしていたが、その一座の中には他から頼まれて師弟の契約をしたひとりの少年も混じっていた。

そこへ、この少年の母が狂いながら来て、名月の夜の鐘の音に心を惹かれ自分も鐘楼にのぼって鐘をつく。僧がそれを咎めると、母はいろいろと鐘の故事を語って弁解し、さらに鐘尽くしの文句を謡いながら舞う。

そのうちに、少年の方が彼女は自分の母ではないかと思い、その国里を訊ねた。そして、ついに我が子の千満と判った母は喜び、親子一緒に故郷へ帰るのである。

親子恩愛の狂乱である。この曲の狂女は狂乱して後夜の鐘を撞き、それがきっかけとなって子供に逢うことが出来たのであるから、この鐘は他人にとっては別れの鐘として悲しまれるものにもかかわらず、彼女にとっては逢う夜のうれしい鐘であったのである。

三井寺=滋賀県大津市の園城寺。
講堂=経文を講ずる所。

小謡
(地)『月見ぬ里に。住みや習へるとさこそ人乃笑はめ。よし花も紅葉も。月も雪も故郷に。我が子のあるならば田舎も住みよかるべしいざ故郷に帰らんいざ故郷に帰らん。帰れば楽浪や志賀辛崎の一つ松。みどり子乃類ひならば。松風に言問はん。松風も。今ハ厭はじ桜咲く。春ならば花園の。里をも早く杉間吹く。風すさましき秋の水乃。三井寺に着きにけり三井寺に。早く着きにけり』

小謡
(上歌)『月ハ山。風ぞ時雨に鳰の海。風ぞ時雨に鳰の海。波も粟津の森見えて。海越しの幽かに向かふ影なれど月ハ真澄乃鏡山。山田矢橋乃渡舟の夜ハ通ふ人なくとも。月の誘はヾ自づから。舟もこがれて出づらん舟人もこがれ出づらん』

(役別) 前シテ 千満ノ母、 後シテ 前同人(狂女)、 子方 千満丸、 ワキ(後) 園城寺ノ従僧、 ワキツレ 従僧(三人)
(所要時間) 五十分