【も】
118 紅葉狩(もみぢがり)


袂に縋り留むれば
地『一河の流れを汲む酒を。いかでか見捨て給ふべきと。恥かしながらも袂に縋り留むれば。さすが岩木にあらざれば。心弱くも立ち帰る。所ハ山路の菊の酒何かハ苦しかるべき』
クリ『げにや虎渓を出でし古も。志をば捨て難き。人の情け乃盃の。深き契りのためしとかや』

(作者) 観世小次郎信光。ただし、歌謡作者考・異本謳曲作者には世阿弥作とある。
(曲柄) 五番目
(季節) 九月
(稽古順) 五級
(所) 信濃国上水内郡戸隠山
(物語・曲趣) ある山で、上臈らしい女が侍女たちと一緒に木陰に幕を打ちまわして紅葉狩の酒宴をしていると、鹿狩りに来た平維蔵が従者を連れて通りかかる。

惟茂は山中での上臈の紅葉狩を不審には思ったが、興を妨げないようにという心遣いから、馬を降り道を変えて静かに通り過ぎようとする。

上臈は、そのような維茂を引き止めて酒宴の仲間に誘い入れる。

惟茂は美人の酌に思わず杯を重ねうっとりとして、ついに酔い臥してしまう。女たちは惟茂が寝入ったのを見届けて姿を消す。

やがて、維茂の夢の中に神のお告げがあり、惟茂が驚いて目を覚ますと、女たちは恐ろしい鬼の本体を現わして襲って来た。

しかし、維茂は少しも騒がず、八幡大菩薩を念じながら立ち向かい、ついに鬼を討ち平らげるのである。

場面は信州戸隠山の奥、季節は秋。紅葉の盛りの頃で、紅葉におおわれた美しさがこの曲の象徴でもあるが、その華やかさの裏には一種の底知れぬ鬼気妖気といったようなものが隠されていなければならない。

上臈=じょうろう。貴い身分の女性。


余りてその丈一丈の鬼神の
地『驚く枕に雷火乱れ。天地も響き風をちこち乃。たづきも知らぬ山中に。おぼつかなしや恐ろしや』
ノリ『不思議や今まで在りつる女。不思議や今まで在りつる女。とりどり化生の姿を現し或ハ巌に火焔を放ち。又ハ虚空に焔を降らし。咸陽宮の。煙乃中に。七尺乃屏風の上になほ。余りてその丈。一丈乃鬼神の。角ハかぼく。眼ハ日月面を向くべき様ぞなき』

小謡
(上歌)『下紅葉。夜乃間の露や染めつらん。夜乃間の露や染めつらん。朝乃原ハ昨日より。色深き紅を分け行く方の山深み。げにや谷川に。風乃懸けたる柵ハ。流れもやらぬもみじばを。渡らば錦中絶えんと。先づ木の下に立ち寄りて。四方の梢を眺めて暫く休み給へや』

小謡
(上歌)『一河の流れを汲む酒を。いかでか見捨て給ふべきと。恥かしながらも袂に縋り留むれば。さすが岩木にあらざれば。心弱くも立ち帰る。所ハ山路の菊の酒何かハ苦しかるべき』

(役別) 前シテ 女、 後シテ 鬼神、 ツレ(前) 侍女(三〜五人)、 ワキ 平維茂、ワキツレ(前)従者、 ワキツレ(後) 勢子(数人)
(所要時間) 二十八分