【や】
120 屋島(やしま)


馬より下にどうと落つれば
地『鉢附の板より。引きちぎって。左右へくわっとぞ退きにけるこれを御覧じて判官。お馬を汀に打ち寄せ給へば。佐藤継信能登殿の矢先にかかって馬より下にどうと落つれば。船にハ菊王も討たれければ。共に哀れと思しけるか船ハ沖へ陸ハ陣に。相引に引く汐の後ハ鬨乃声絶えて。磯の波松風ばかりのおと淋しくぞなりにける』

(作者)世阿弥元清
(曲柄) 二番目 修羅物
(季節) 三月
(稽古順) 三級
(所) 讃岐国木田郡屋島壇ノ浦
(物語・曲趣) 西国行脚中の都の僧が、讃岐の国屋島の浦で、ある塩屋に一夜の宿を求める。

宿の主である漁翁は、僧が都の人だと聞いて懐かしがって僧を宿の中に招き入れる。

漁翁は所望に応じてここで源平が戦った昔のことを語り、「義経の大将ぶりのこと、悪七兵衛景清三保谷四郎とのこと、佐藤継信(義経の忠臣)の最後のこと」などについて語った。

僧は、漁翁があまりに詳しい物語を語ることに不審に思い、漁翁の名前を尋ねると、漁翁は義経の霊であることをほのめかして、消え失せた。

やがて、僧の夢の中で甲冑姿の義経が現れて、屋島合戦の際に「波に流された弓を敵に取られまいと、身を捨てて拾い取った次第」を義経が語る。

さらに「修羅道に落ちたので、今もやはり戦わねばならない」と言った後で、夜の明け行くとともに消え失せた。

この曲は修羅物の典型的作品であり、勝修羅三番(「田村」「屋島」「箙」)のひとつとしても数えられる。主人公が単に戦勝者であったというだけでなく、曲そのものが軍物語を主体として出来ているからである。

屋島=讃岐木田郡屋島。高松の東にある。
塩屋=塩を作るために設けた小屋のこと。
悪七兵衛景清=平家の侍。悪という語は豪勇者の意を含んでいる。
三保谷四郎=武蔵国の武者で、平家物語には兄の十郎として見える。
佐藤継信=義経の忠臣で、陸奥の住人である。


春の夜の波より明けて
シテ『思ひぞ出づる壇乃浦の』
地『その船戦今ハはや。その船戦今ハはや。えんぶに帰る生死乃。海山一同に。震動して。船よりハ鬨の声』
シテ『陸にハ波の楯』
地『月に白むハ』
シテ『剣の光』
地『潮に映るハ』
シテ『兜乃。星の影』
地『水や空空行くもまた雲の波乃。撃ち合ひ刺し違ふる。船戦の駆引。浮き沈むとせし程に。春乃夜の波より明けて。敵と見えしハ群れ居る鴎。鬨の声と聞えしハ。浦風なりけり高松の裏風なりけり。高松の朝嵐とぞなりにける』

小謡
(上歌)『釣の暇も波乃上。釣の暇も波の上。霞み渡りて沖行くや。海士乃小舟の。ほのぼのと見えて残る夕暮。浦風までも長閑なる。春や心を。誘ふらん春や心を誘ふらん』

小謡
(上歌)『さて慰みハ浦の名乃。さて慰みハ浦乃名の。群れ居る田鶴を御覧ぜよ。などか雲居に帰らざらん。旅人乃故郷も。都と聞けば懐かしや。我等も元ハとてやがて涙に。咽びけりやがて涙に咽びけり』

小謡
(上歌)『武士乃。屋島に射るや槻弓の。屋島に射るや槻弓の。元の身ながら又ここに。弓箭の道ハ迷はぬに。迷ひけるぞや。生死乃。海山を離れやらで。帰る屋島の恨めしや。とにかくに執心の。残り乃海の深き夜に。夢物語。申すなり夢物語申すなり』

(役別) 前シテ 漁翁、 後シテ 源義経、 ツレ(前) 漁夫、 ワキ 漁僧、 ワキツレ 従僧(二〜三人)
(所要時間) 四十五分