【や】
121 山姥(やまんば)


恨み申しに来りたり
シテ『年頃色にハ出させ給ふ。言乃葉草の露程も。御心にハ懸け給はぬ。恨み申しに来りたり。道を極め名を立てゝ。世上萬徳の妙花を開く事。この一曲の故ならずや。然らばわらはが身をも弔ひ。舞歌音楽の妙音乃。声仏事をも為し給はゞ。などかわらはも輪廻を免れ。帰性乃善所に至らざらんと』

(作者) 世阿弥元清。二百十番謳目録及び金春八左衛門書上が金春禅竹としているのは疑問である。根本曲舞であったのを補完したものであろうと考えられる。
(曲柄) 五番目
(季節) 不定
(稽古順)
 準九番習
(所) 越後国西頚城郡上路山
(物語・曲趣) 山姥山廻りの曲舞を得意とするところから百萬山姥と呼ばれている遊女が、供の者を連れて善光寺詣でを思い立ち、越後越中の境川に着いた。

遊女はそこから徒歩で上路の山にさしかかったところで、日が暮れて困っている。

そこへ中年の女が現れて、遊女を自分の庵へ連れて行く。女は山姥の曲舞を所望して、「実は私は真の山姥である」と言う。

遊女は驚き怖れてすぐに謡おうとすると、女はそれを止めて「夕月の頃謡われるならば、私も真の姿を現して移り舞を舞いましょう」と言い捨てて消え失せる。

やがて約束の時刻に遊女が謡い始めると、果たして恐ろしい姿をした山姥が現れ、山姥の曲舞を舞い、また山廻りのさまを示し舞いながら、どこへともなく姿を隠すのである。

この曲の中心をなす山姥の曲舞は、元来は仏教的色彩の濃いものであったのであろう。そこで山姥の曲舞を得意とする遊女に善光寺詣でを思い立たせ、真の山姥に邂逅させたのである。

曲舞=室町時代の流行歌舞の一種。
百萬山姥=吉野朝時代の曲舞の名手に百萬という遊女がいた。
境川=富山県下新川郡境村の東。対岸は新潟県西頚城郡市振村である。


山また山
シテ『寒林に骨を打つ。霊鬼泣く泣く前生の業を恨む。深野に花を供ずる天人。返す返すも幾生の善を喜ぶ。いや。善悪不二。何をか恨み。何をか喜ばんや。萬箇目前の境界。懸河びょう々として。巌峨々たり。山また山。何れの工か。青巌の形を。削りなせる。水また水。誰が家にか碧潭の色を。染め出せる』

■小謡
(上歌)『鬼一口の雨乃夜に。鬼一口の雨乃夜に。神鳴り騒ぎ恐ろしき。その夜を。思ひ白玉か何ぞと問ひし人までも。我が身の上になりぬべき。浮世語も恥かしや浮世がたりも恥かしや』

■仕舞
(地)『そもそも山姥ハ。生所も知らず宿もなし。たヾ雲水を便にて到らぬ山の奥もなし』
(シテ)『然れば人間にあらずとて』
(地)『隔つる雲の身を変へ。仮に自性を変化して。一念化生の鬼女となって。目前に来れども。邪正一如の見る時は。色即是空その侭に。仏法あれば。世法あり煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生あり衆生あれば山姥もあり。柳は緑。花は紅の色々。さて人間に遊ぶ事。或時ハ山賎の。樵路に通ふ花の蔭。休む重荷に肩を貸し月もろともに山を出て。里まで送る折もあり。また或時ハ織姫の。五百機立つる窓に入って。枝乃。鶯糸繰紡績乃宿に身を置き人を助くる業をのみ。賎の目に見えぬ鬼とや人の言ふらん』
(シテ)『世を空蝉の唐衣』
(地)『払はぬ袖に置く霜ハ夜寒乃月に埋もれ打ちすさむ人の絶間にも。千声萬声の。砧に声のしで打つハたヾ山姥が業なれや。都に帰りて世語にせさせ給へと。思うハなほも妄執か。たヾうち捨てよ何事もそし足引乃山姥が山廻りするぞ苦しき』


(役別) 前シテ 女、 後シテ 山姥、 ツレ 百萬山姥、 ワキ 従者、 ワキツレ 供人
(所要時間) 五十一分