【ゆ】
123 熊野(ゆや)


名も清き
地『牛飼車寄せよとて。牛飼車寄せよとて。これも思ひの家乃内。はや御出でと勧むれど。心ハ先に行きかねぬる。足弱車乃力なき花見なりけり』
シテ『名も清き。水乃まにまに覓来れば』
地『川ハ音羽の。山桜』
シテ『東路とても東山せめて。其方乃なつかしや』

(作者) 世阿弥元清
(曲柄) 三番目
(季節) 三月
(稽古順) 一級
(所) 前 京都 平宗盛邸
     後 京都 洛東清水寺
(物語・曲趣) 平宗盛の寵妾である熊野は、故郷の遠江から侍女の朝顔が持参した病母の手紙を宗盛に見せてお暇を乞うた。しかし、熊野は逆に花見のお供を強いられて、やむなく同車して清水に往くことになった。そして花の下の酒宴の席で、熊野は宗盛に所望されて心ならずも舞を舞った。

舞い半ばになってにわかに村雨が降り出し、熊野は花が散るのを見て、「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」と歌を詠んで短冊に認め、宗盛の前に差し出した。

さすがの宗盛も哀れに思って、熊野に暇を与えた。熊野は「これも清水観音の御利生である」と喜び勇み、そのまま東を指して帰っていった。

桜の花の雨に散る風情を麗人の姿に結び付け、雨に散る花の下で、老母の身の上を気遣いながら、熊野が舞いを舞うところを中心にして構想したものである。

咲き誇った華麗な花を背景に用い、その花の脆い運命を象徴として人の命のはかなさを思わせる。歓楽と哀愁、哀愁と救済、そして権勢と拘束、拘束と解放の推移を見せるために十分な情緒が盛られている。

熊野=平家物語では、宗盛の寵を受けた女性は長者熊野の娘侍従である。

小謡
(上歌)『そもこの歌と申すハ。そもこの歌と申すハ。在原の業平乃。その身ハ朝に暇なきを。長岡に住み給ふ老母乃詠める歌なり。さてこそ業平も。さらぬ別れのなくもがな。千代もと祈る子乃為と詠みし事こそ。哀れなれ詠みし事こそ哀れなれ』

小謡
(上歌)『四条五条乃橋の上。四条五条も橋乃上。老若男女貴賎都鄙。色めく花衣袖を連ねて行末乃。雲かと見えて八重一重。咲く九重乃花盛り名に負ふ春の景色かな』

(役別) シテ 熊野、 ツレ 朝顔(侍女)、 ワキ 平宗盛、 ワキツレ 従者(太刀持)
(所要時間) 五十六分