【よ】
124 楊貴妃(よおきひ)


これこそありし形見よとて
シテ『訪ふに辛さの増り草。からがれならばなかなか乃。便の風ハ怨めしや。また今更の恋慕の涙。旧里を思ふ魂を消す』
ワキ『さてしもあるべき事ならねば。急ぎ帰りて奏聞せん。さりながら御形見の物を賜び給へ』
シテ『これこそありし形見よとて。玉のかんざし取り出でゝ。方士に与へ賜びければ』
ワキ『いやとよこれハ世の中に。類ひあるべき物なれば。いかでか信じ給ふべき。御身と君と人知れず。契り給ひし言の葉あらば。それを証に申すべし』
シテ『げにげにこれも理なり。思ひぞ出づる我も亦。その初秋の七日の夜。二星に誓ひし言の葉にも』
地『天に在らば願はくは。比翼乃鳥とならん。地に在らば願はくハ連理の枝とならんと誓ひし事を。ひそかに伝へよや。私語なれども今漏れ初むる涙かな』

(作者) 金春禅竹。ただし自家伝抄のみは世阿弥作能の部と禅竹作能の部とにこの曲名を挙げている。
(曲柄) 三番目 鬘物
(季節) 八月
(稽古順) 三級
(所) 仙界蓬莱宮太眞殿
(物語・曲趣) 唐の玄宗は、馬嵬が原で殺された寵姫楊貴妃のことを忘れかねて、方士に貴妃の魂魄の在り処を尋ねさせる。方士は探し尋ねた末、蓬莱宮太眞殿に居ることが判ったので、そこをたずねる。

すると、貴妃は玉のすだれをかかげて方士に会う。方士は玄宗の嘆きを妃に伝えて、会った印しになる形見の品を乞うと、妃は挿していた玉のかんざしを与える。

しかし、方士は「こんな珍しくない品よりも、帝とひそかに契られたお言葉を賜りたい」と言うと、貴妃は七夕の夜に交わした比翼連理の契りの言葉を打ち明けた。

方士が帰ろうとすると、貴妃はそれを引き止めて、もとは上界の仙女であった身の上について語り、霓装羽衣の曲を舞って見せる。

やがて、方士はかんざしを携えて持ちかえり、一方、楊貴妃は涙ながらに太眞殿に留まるのである。

支那美人の代表的存在のように考えられている楊貴妃を主人公とし、平安時代から愛誦されていた長恨歌に基づいて構想されたもの。
玄宗の寵姫であった気品のある濃艶さと、薄命の生涯による哀愁感とを狙ったものである。

馬嵬が原=ばぐゎいがはら。陜西省興平県の西方馬嵬鎮にあり、楊貴妃が殺されたところ。
方士=神仙の方策を使う道士。
魂魄=こんぱく。精霊、霊魂のこと。
蓬莱宮=東海にあると想像された仙境の宮殿。
太眞殿=陳鴻の長恨歌伝に蓬莱仙宮の中に玉妃太眞院と署した宮があったことが記されている。貴妃の居所。
比翼連理=比翼は想像上の鳥で、それぞれが翼をひとつしか持たないので、二羽が並ばないと飛べない。連理は二本の樹の木理が連なっていてそれぞれを離すことができない樹。
霓装羽衣の曲=げいしょうういのきょく。玄宗が八月某日の夜に月宮で遊び、天人の舞樂を見て帰った後でその舞曲を模して作った舞曲のこと。

小謡
(上歌)『梨花一枝。雨を帯びたるよそほひの。雨を帯びたるよそほひの。太液乃。芙蓉の紅末央の柳乃緑もこれにハいかで勝るべき。げにや六宮の粉黛の顔色の無きも。ことわりや顔色のなきもことわりや』

小謡
(上歌)『されども世乃中の。されども世の中乃。流転生死の習ひとて。その身ハ馬嵬に留まり魂ハ。仙宮に到りつゝ。比翼も友を恋ひ独り翼を片敷き。連理も枝朽ちて。忽ち色を変ずとも。おなじ心の行方ならば。終の逢瀬を頼むぞと語り給へや』

(役別) シテ 楊貴妃、 ワキ 方士
(所要時間) 四十五分