【よ】
126 吉野天人(よしのてんにん)


月の夜遊を待ち給へ
上歌『夕映匂ふ花の蔭。夕映にほふ花の蔭。月の夜遊を待ち給へ。少女の姿現して。必ず此処に来らんと。迦陵頻迦の声ばかり雲に残りて失せにけり雲に残りて失せにけり』

(作者) 能本作者註文・歌謡作者考・異本謳曲作者考・観世大夫書上などは、いずれも観世小次郎信光作としているが、二百十番謳目録だけは日吉佐阿彌安清の作としている。
(曲柄) 三番目(略初番目)
(季節) 三月
(稽古順) 五級
(所) 大和国吉野山
(物語・曲趣) 毎年の春に各所の桜を見ることにしている都の者が、今年は吉野の花を見ようと仲間を伴って吉野山の奥深く分け入る。

すると高貴な姿をしたひとりの女が現れたので、都人たちが怪しんで女に尋ねると、「私はこのあたりに住む者で、一日中花を友のようにして暮らしているのです」と答え、都人たちと一緒に花を眺めていた。

しかし女はいつまでも帰ろうとしないので不審に思っていると、女は「実は私は天人で花に引かれて来たのであるが、今夜ここに旅居して信心なさるならば、古の五節の舞いを見せましょう」と言い捨てて消え失せた。

やがて夜になると、虚空に音楽が聞こえ、天人が現れ花に戯れ舞いを舞っていたが、再び花の雲に乗って消え失せるのである。

簡単で定型的な構成の下に、桜花爛漫たる吉野の春の駘蕩とした気分を描こうとしたもので、たおたおしい天人を主人公とし、その天人に吉野の花を讃美させているところにこの曲の狙いどころがある。

吉野=奈良県吉野郡吉野山を指す。
古の五節=天武天皇がこの吉野に行幸された時、天人が天降って袖を五度翻して舞ったという五節の舞。大嘗祭の五節の舞はこれを移して始められたものである。
虚空に音楽が聞こえ=経典に良く見えるもので、仏菩薩が來現される際の奇瑞(きずい。めでたいことの前兆として現れた不思議な現象)である。


雲の通路吹き閉づるや
(獨吟 仕舞)
地『少女ハ幾度君が代を。少女ハ幾度君が代を。撫でし巌も尽きせぬや。春の花乃。梢に舞ひ遊び。飛びあがり飛びくだる。げにも上なき君の恵み。治まる国の。天つ風。雲の通路吹き閉づるや。少女乃姿留まる春の。霞もtなびく三吉野の。吉野乃山桜うつろふと見えしが。また咲く花の。雲に乗り。また咲く花の。雲に乗りて行方も知らずぞ。なりにける』

■小謡
(上歌)『見もせぬ人や花の友。見もせぬ人や花の友。知るも知らぬも花の蔭に。相宿りして諸人の。何時しか馴れて花衣の。袖ふれて木の下に。立ち寄りいざや眺めん。げにや花の下に。帰らん事を忘るゝハ。美景に因りて花心。馴れ馴れ初めて眺めんいざいざ馴れて眺めん』

(役別) 前シテ 里女、 後シテ 天人、 ワキ 都人、 ワキツレ 同行者(二〜五人)
(所要時間) 二十分