【よ】
128 弱法師(よろぼし)


石の鳥居此処なれや
上歌『伝へ聞く。か乃一行の果羅乃旅。か乃一行乃果羅の旅。闇穴道乃巷にも。九曜乃曼荼羅の光明。赫奕として行末を。照らし給ひけるとかや。今も末世と云ひながら。さすが名に負ふこの寺乃。仏法最初の天王寺乃石の鳥居此処慣れや。立ち寄りて拝まんいざ立ち寄りて拝まん』

(作者) 観世十郎元雅。ただし、クセは世阿弥元清作。
(曲柄) 四番目(略二・三番目)
(季節) 二月
(稽古順) 準九番習
(所) 大阪天王寺
(物語・曲趣) 河内国高安の里の佐衛門尉通俊は、ある人の讒言を信じてわが子俊徳丸を追い出したが、のちにそれが寃抂であることを知って不憫に思う。

そこで、俊徳丸の二世安楽の為に、天王寺で十七日の施行をすることになった。

俊徳丸は悲嘆の余りに盲目となって乞食の群れに身を投じて弱法師と呼ばれていたが、杖を力に天王寺に来て施行を受ける。

まもなく通俊は、弱法師がわが子であることに気付いた。そこで、人目を憚って夜に入るのを待ち、なにげなく日想観を勤める。弱法師は「なるほど今は時正の日であろう」と日想観をやったり、また見えぬ目で四辺の風光をめでながら歩いている。人々は、それを見て「さてこそ真の弱法師よ」と笑う。

やがて、夜も更けたところで、通俊と俊徳丸の親子はお互いに名乗りあい、そして連れ立って帰って行くのである。

素性賤しからぬ若い盲目の乞食が、梅花の風情を愛したり、四辺の風光をめでたりする面白さを狙って構想したのであろう。

曲の主眼は、何としても盲目少年の心境の変化にあると見なければならない。
この世に生きながら中有の闇に迷い迷って仏にすがり、信仰の効力で法悦にも浸りうることができる。狂乱というのは、この曲では法悦の発現である。

高安の里=大阪市から三里ばかり東南の地。中河内郡高安村にある。
寃抂=えんおう。無実の罪。
二世安楽=現世安穏と後生善所。
天王寺=四天王寺。聖徳太子が建立されたわが国仏法流布最初の寺院。大阪市天王寺区にある。
施行=人に物を施し、善根を積む行をいう。
弱法師=病み疲れ、足元の危ない乞食法師。
日想観=観無量壽経に説かれた極楽浄土を観念する十六観法の第一。西方に正座し、日没の相状を観て、西方浄土を想観すること。
時正の日=彼岸の中日をいう。
中有の闇=人の死後、未だ次の生を享けない中間を中有または中陰という。


満目青山ハ心にあり
シテ『詠めしハ月影の』
地『詠めしハ月影乃。いまハ入日や落ちかゝるらん。日想観なれば曇りも波乃。淡路絵島。須磨明石。紀の海までも。見えたり見えたり。満目青山ハ。心にあり』

小謡
(上歌)『花をさへ。受くる施行の色々に。受くる施行の色々に。匂ひ来にけり梅衣の。春なれや。難波乃事か法ならぬ。遊び戯れ舞ひ謡ふ。誓ひの網にハ洩るまじき。難波の海ぞ頼もしき。げにや盲亀の我等まで。見る心地する梅が枝の。花の春乃のどけさハ難波の法によも洩れじ難波の法によも洩れじ』

(役別) シテ 俊徳丸、 ワキ 高安通俊
(所要時間) 四十五分