4月



(2003/4/28 : 県立相模原公園)


4月28日(月)
萌える新緑

○ 新緑の季節到来。萌え出でる若葉の素晴らしさ、万歳!

○ 若葉萌え瑞々しさ冴える日差しかな(たんじい
○ 冴え渡る萌える木々の芽すくすくと(ひろばあ







(4月下旬のフロント・ページ)
○ 萌え出る若葉の瑞々しさ、燃えるような新緑の鮮やかさ。淡いミドリ、深いミドリ・・・。他に例えようの無い美しさです。
○ 青葉の香りを吹き送る初夏の風、薫風。鯉のぼりが芳しい風に乗って、気持ち良さそうに泳ぎます。これまた、初夏の爽やかな風景です(4月28日)。


4月22日(火)
伊豆の天城湯ヶ島・文学散歩(第2回)

○ 第2回「伊豆文学散歩」は、井上靖の自伝的小説「しろばんば」の舞台である伊豆・湯ヶ島を訪れることとなった。
3歳の時から実家の祖母(おぬい婆さん)に預けられ、13歳までを一緒に暮らす「一風変わった土蔵の生活」の舞台近辺の散策である。

○ 井上靖邸跡に建設されている本人筆跡の碑。
『その頃と言っても大正4、5年のことでいまから40数年前のことだが、夕方になると決まって村の子供たちは口々にしろばんばしろばんば、と呼びながら家の前の通りをあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら・・・』(しろばんば)。

○ その碑の裏側には、作家大岡信が「しろばんばの碑に題す」として、次のような文章が記されている。
『井上靖は文壇の巨匠と仰がれながらも、一方では満天の星のもとただ一人宇宙と対座することに至上の喜びを見出す、魂の永遠のさすらいの人だった。おぬい婆さんと洪作少年がこの地で営んでいた一風変わった生活が如何に重要な意味を持っていたかと思い見ずにいられない』

○ 湯ヶ島小学校校庭の記念碑。
『地球上で一番清らかな広場。北に向かって整列すると遠くに富士が見える。回れ右すると天城が見える。富士は父、天城は母。父と母が見ている校庭でボールを投げる。誰よりも高く、美しく、真っ直ぐに、天にまで届けとボールを投げる』(井上靖)

井上靖邸跡。洪作少年が富士山を眺めながらおぬい婆さんと暮らした土蔵があったとされる場所。今でも、富士の霊峰をはっきりと眺めることが出来た。 湯ヶ島小学校の校庭隅に建てられている井上靖記念碑の前で熱弁を振るわれる案内役の梅原先生。同氏は、かつてこの学校で校長先生を勤められた。 正門側の広場には、洪作少年とおぬい婆さんの像が何事かを語りかけている。少年を育んだ情緒的な雰囲気が伝わってくるような小学校である。

番外(その1)・走行中の東名高速道(足柄付近)からみた富士山

番外(その2)・小室山公園のつつじ

4月18日(金)
盆栽の植え替え作業、ほぼ終了

○ 盆栽の植え替え作業がほぼ終わった。
鉢いっぱいに根を張って窮屈そうな恰好をしていた鉢植えの草木など。根を切り詰め、新しい土と交換してやる。終わって、生気を取り戻したような盆栽を眺めていると晴れ晴れとした爽快さを覚える。

○ 実生から育て上げたり、小さな苗木を無手勝流で体裁造りして来たお気に入りなど・・・。
銘木とか逸品とはとても言えない「自己流盆栽」ではあるが、年数が経つ程に格別の愛着が沸いてくるというもの。

○ 陽気が進むとともに、吹き出してきた新芽は次第に色濃いものとなる。自然のたくましさに、あらためて脱帽!

4月14日(月)
モミジの花

○ ネット仲間から「モミジの小さい花」の画像をいただいた。

○ モミジに花が咲く? 半信半疑で庭先のモミジをしみじみと眺める。
なんと! 小さな可愛い花を付けているではないか! ビックリ仰天であった。

○ 十数年来の付き合いとなる我が庭木のモミジ。
主に気付かれないまま、ヒッソリと咲いていたのだね。

○ 新芽が出始めてしばらくした後に、葉陰に隠れるように現れる「小さい赤っぽいもの」・・・。
これまでは特に気にも留めない事象であった。いや、気が付いてよかった。
ありがとうございました。

○ 振り返って思うに、今月初め、楽寿園(三島市)で見かけたモミジの新芽の中には赤い何かがいっぱい付いていたようだったなあ!?(写真最後尾)。我が無知を恥じるばかりである。

4月13日(日)
初夏のような陽気

○ 20度を超える汗ばむような陽気となった。
半そでシャツ姿が目立つ公園では、色とりどりの花を愛でながらお弁当を広げる風景が目立った。

○ サクラは花吹雪となって地面を白く染める。
主役の座がハナモモに移っていくかのような光景であった。

○ 相模原地方に伝わる伝説の美女「照手姫」に因んで命名された観賞用モモの木「テルテベニ・シロ・モモ」。
今年も見事な「美女の姿」を見せてくれた。

4月9日(水)
松井、メジャー第1号はグランドスラム!

○ 松井が待望のメジャー初本塁打を放った。
メジャー挑戦して7試合目、34打席目の打球は一直線に満員のライトスタンドへ飛び込んでいった。

○ 入団1年目の選手が本拠ヤンキースタジアムの開幕戦で満塁本塁打を打ったのは、マツイが第1号とか。
ゴジラの一振りは地元ファンへの強烈なアイサツ代わりになった。そして、伝統あるチームに新しい歴史を刻んだことにもなる。

○ メジャー入り初戦・初打席の「ヒット」とともに、松井が秘めている因縁めいた何かを感じざるを得ない快挙であった。

4月7日(月)
初夏の陽気?
アシタバと蕗の花

○ ポカポカ陽気の暖かさ。草花は日に日に成長して行く。
ただ見惚れるばかり。

○ アシタバが越冬に成功して、見事な緑色を見せ始めた。

○ 伸びきったフキノトウ。
畑の片隅で、これまた可憐な花を見せている。




4月1日(火)
伊豆の天城越え・文学散歩

○ 「伊豆文学散歩」と銘打ったバス旅行&天城路散策コースに参加した。
2月に行われた“事前学習会”に続いて、いよいよ現地での体験散策の第1回目である。

○ 今回は川端康成の「伊豆の踊り子」の舞台となった天城峠付近を歩くというもので、中伊豆文学に造詣が深く「昭和の森会館・伊豆文学博物館」の学芸員でもある梅原實雄先生にご案内していただいた。

○ 『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた』(川端康成「伊豆の踊り子」の冒頭部分)。物語の展開を彷彿とさせる天城路であった。

○ 『暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた』。
同小説の連載が始まった大正15年当時と比べて、何ら変わることのないトンネル内であった。

「伊豆の踊り子文学碑」と「川端康成レリーフ」は、苔むす巨大なふたつの岩で結ばれている。物語のスタート地点にふさわしいということか。 昭和の森会館方面から河津方面に向かってつづら折りになっている旧道を進む。「文学碑」は写真右手の斜面に建っている。旧天城トンネルの直ぐ手前だ。 一つ目のカーブを曲がると、目の前に旧天城トンネルが現れる。暗いトンネルのはるか先には出口のかすかな光明が・・・。川端文学の一端を見るようだ。

暗いヒンヤリするトンネルを抜け出す。振り返ると、入り口の明かりがかすかに。 松本清張「天城越え」の氷室小屋は寒天橋の近くにある。砂利路を更に進む。 北側斜面には至るところに苔がむしている。先生の野草の説明にも熱が入る。



(4月上旬のフロント・ページ)

○ サクラの開花は平年にくらべ遅いように言われていましたが、4月に入るや一気に満開となってきました。

○ 遠くから眺めて良し、近くの真下から眺めてもまた良し。サクラの花はやはり日本いや世界を代表する「花の女王」のようです。

○ 柔らかい新緑の瑞々しさの味わい。これまた、この時期ならではの旬の味のひとつです
(4月3日)。


(写真左:サクラの花 三嶋大社・三島市)
(写真右:モミジの若葉とモミジの花! 楽寿園・三島市)