乾坤山 日本寺
〜鋸山(南房総)・今年の歩き納め
| 乾坤山 日本寺(けんこんざん にほんじ) 日本寺は今をさかのぼること約1300年前の725年(神亀2年)6月、聖武天皇の勅詔を受けて、高僧行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願寺である。正しくは乾坤山日本寺と称される。 眼下に東京湾や三浦半島を見下ろし、富士山をも一望できる名勝鋸山。その広大な境内には1553体もの石仏が安置されている「東海千五百羅漢」や「百尺観音」などの奇岩がいっぱいあり、見ごたえある宝庫といえる。 大晦日の午後の約3時間。険しい坂や石段を上り下りしながら、気持ちよい汗をかいた「歩き納め」のひとときであった(2003/12/31)。 |
日本寺大仏
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| 日本寺大仏 1969年(昭和44年)6月、4年にわたる復元工事によって原型が復元。大きさは奈良東大寺、鎌倉高徳院を上回る日本最大を誇る。 1783年(天明3年)、名工大野甚五郎英令が門弟27名とともに彫刻して完成させたが、江戸時代末期になって自然の風触により著しく崩壊し、昭和41年に至るまで興廃にまかされていた。 |
お願い地蔵尊 大仏広場に安置されている「お願い地蔵尊」は様々なお願いがかなえられると尊崇を集め、お願いする人の氏名を書いた小さなお地蔵が山となって奉納されている。 |
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| 東海千五百羅漢 当山曹洞第9世である高雅愚伝道師の発願により、上総櫻井(現木更津市)の名工、大野甚五郎英令が1779年(安永8年)から1798年(寛政10年)に至る前後21年間に生涯をかけて、門弟27名とともに1553体の石仏を刻んで奇岩霊洞の間に安置したもの。 中国・懐安大中寺の八百羅漢を凌ぐもので、世界第一の羅漢霊場として海外にも知られているかけがえのない文化財である。 惜しむらくは、明治維新の廃仏毀釈以来、興廃したままで現在に至っていること。現在進められている「羅漢様お首つなぎ」などの復興作業の進展が期待される。 |
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| 西国観音 一法を見ざれば即ち如来 方に名けて観自在と為すことを得たり |
通天関 巌陜く関を過ぐるが如く 仰天すれば天に登るに似たり |
百躰観音 衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦西国 板東 秩父観音を合祀す |
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| あせかき不動 身の罪の重きを恨みたきつせの 不動の力たのむうれしさ |
あせかき不動 同左 |
日牌堂 諸行は無情にして一切空なり 即ち是れ如来の大円覚 |
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| 維摩窟 不思議解脱の力 妙用恒沙也た極利無し |
維摩窟 同左 |
護摩窟 弘法の護摩窟 千歳香薫る |
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| 聖徳太子 法中の王 最も高勝 河沙の如来同じく共に証す |
奥の院 無漏窟 無上法王の奥 十方の諸仏集約 |
大野英令之墓 安永8年当山に上り造仏に生涯をかけた不世出の名工大野甚五郎英令の墓 木更津櫻井出身 |

| 百尺観音 1966年(昭和41年)5月、6年の歳月を費やして完成した高さ30mの大観音石像は、交通安全の守り本尊として人々の尊崇を集めている。 発願の趣旨は、世界第2次戦争での戦死病没殉難者の供養、東京湾周辺の航海、航空及び陸上交通犠牲者の供養のためとか。 |
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| 百尺観音 石切の絶壁に刻み込まれた壮大な観音様。 |
地獄のぞき 人々は恐る恐るのぞきこむ。目がくらみそうだ。 |
断崖絶壁の上にある「地獄のぞき」から百尺観音前広場を見下ろす。豆粒ほどの大きさの人たち。 |
(番外編) 光藻(ひかりも)
| 竹岡のヒカリモ 弁天洞窟のなかにある水深70cmほどの洞内池に発生している鞭(べん)毛藻類の一種が発生したもので、国の天然記念物にも指定されている。 キラキラと黄金色に光る光藻(ひかりも)は、まるでゴールドのペンキを流し込んだようにも見える。「黄金がザクザク手に入りますように」と願掛けに訪れる人々が絶えない。 浜金谷から国道127号を上総湊に向かって5kmほど北上した右手の地点に位置する。 |
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